第一次世界大戦が終結した1919年、パリで講和会議が行われました。

このパリ講和会議は、第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことがないために「国際連盟」を創設しようという会議でもあった。

このとき、米国の黒人たちが最大の注目したのが日本でした。


日本は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲て、講和会議に参加したのです。


日本の全権使節団は、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄ります。

このとき「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、との嘆願書を、日本の使節団に出します。

米国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に嘆願をしているのです。



「われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で“人種問題”について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。」

これは、全米黒人新聞協会が発表したコメントです。

人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていたのです。


パリ講和会議で、日本の“人種差別撤廃法案”は16カ国中、11カ国の賛成票を得ながら、議長であった米国大統領ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられます。

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ねずさんより。

紹介より、全文自分が読まなきゃね。