生きてるだけでたのしい |   ☆Petit Petit Planet☆~コドモ×エホン×オモチャ

生きてるだけでたのしい




他人様の出来事でも、

知ってしまうと心理的に

ものすごい影響を受けてしまうため、

ワイドショーを見ることができないハハです。



しかし、ある無理心中事件を目にしました。

残されたお母さんの苦悩ははかりしれず、

亡くなられたお父さんの絶望や、

子どもたちのことを思うと・・・。



誰にも、非難したり意見したり

批評する権利はありません。

ただ、こうしたことが繰り返されないために、

できることはなんでも大急ぎで

取りかからなければいけないのだと、

あらためて思いました。




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大人サイドから過重な責任や

プレッシャーをかけられない限り、

思春期までのコドモはみんな、

ただ、生きてるだけでたのしい。



親がいろんなものを与えてやる必要はなく、

お金をかけてあげることができなくても、

ただ、生きてるだけでたのしい。



自然や、生き物や、

目に映るものすべてがおもしろいから。

夢中になって遊ぶことさえできれば、

ただ、生きてるだけでたのしい。




遊びをせんとや生れけむ 


戯れせんとや生れけん


あそ  こども   こゑ       
遊ぶ子供の声きけば 
 

わ   み        ゆる

我が身さえこそ動がるれ


平安時代に、

後白河法皇によって編集された

『梁塵秘抄』という歌謡集の中に

おさめられた有名な歌です。



ハハは学生時代、国文科に在籍。

講義は半分以上寝ていたものの、

上記の歌に衝撃を覚え、

卒論はこの歌をベースに

上代から近世までの庶民の子供たちの

遊びについて書きました。



その卒論も手元にないし、

記憶も朧げなんですが・・・。

庶民が今以上にモノがなく、

貧しい暮らしをしていた遥か昔のこと。



飢饉や重税に苦しみ、毎日喰うや喰わず。

親の手による間引き(子殺し)や

姥捨て(老人殺し)、子供の売買。

生きていくために小さい頃から働くのが当たり前。



そんな過酷な世界の中でも、

子どもたちは「ちゃんと」

遊んでいたのです。



もちろん、その親たちは生活のために

働くだけで精一杯ですから、

一緒に遊ぶどころか、

お世話もそんなにできない状態。

おこずかいもオモチャもある訳がない。



しかし、そんな何もないところでも、

子どもたちはお山の大将を中心に

自分たちで遊びを発明して、

労働の合間をぬって、

懸命に力いっぱい遊んでいた。



そしてその遊びが今も伝わっていることに、

感動しながら卒論を締めくくった覚えがあります。



(ちなみに、

その「お山の大将と遊びの天才軍団」を

現代に蘇らせた子育てサークルが

『あそボラネットかみしゃく』

http://asovnetkamishaku.web.fc2.com/

だと思います。

母子ともに虚弱体質のため

なかなか参加できませんが、

グループに関わる人たちを

ハハはとても尊敬しています)



遊ぶことさえできれば、

ただ、生きてるだけでたのしい。



たとえツライことや悲しいことがあったとしても、

遊びが苦しみを乗り越える力になる。



子供が一番子供らしく輝ける時代に、

大人が、できることはなんだろうか。

ジブンに、なにができるだろうか。



そんなことを、

ボンヤリ思うハハなのでした。





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