5年ぐらい前まで、よく車で一人空港に行っていた。
旅行をするわけでも、出張でもない。
飛行機に乗るわけではない。
それでも、時間を見付けては片道1時間半かけて空港に行っていた。
単純に空港の雰囲気は好きだった。
飛行機が特別好きなわけではない。
よく、発着陸が見えるテラスにカップルに紛れて一人座っていたが、飛行機が飛び立つ姿を見ても特別な感慨や興奮はない。
空港内にいる、旅立つ人、目的地に着いた人、帰る人、色んな人種が交差し、また誰もがまだ現実感の無い少し浮ついた雰囲気を醸し出している感じが好きだった。
あともう一つ。
よく、発着案内板を見ていた。
毎回特に変わり映えはしないのだけれど、行き先の都市名を見ただけで心が動いた。
なんだろう。
心躍るわけではなく、思いを馳せるわけでもない。
うまく当てはまる言葉が見付からないが、心が浮ついた。
恐らくそれは現実からの逃避願望で、今すぐにでもチケットを買って飛び立てばすべてを無かったことにできる。
断崖に立つような、ただそこには強固な柵はあるのだけど、そうやって自分の心を無理やり現実に戻していた気がする。
それほど苦しい日々だったのかと言われると、決してそんなことはない。
ただ、現状が自分が望んだ姿ではなく、何も出来ない自分に退屈していた。
確かにチケットを買って飛び立てば、すべてをリセットできたかも知れない。
もちろんビザなんてないのですぐに戻されるが、そうだとしても戻された時には仕事は失っていたと思う。
信頼も信用も人間関係も失われる。リセットできるとも言える。
失う物の大きさに馬鹿らしくなって、また一時間半かけて家に帰る。翌日は朝から満員電車に揺られる。
いつからか空港に行くことはなくなった。
それは何故か。
恐らく、必要がなくなったからだと思う。
自分の本心を確認する必要がなくなった。
自分の人生を初めて自分の意思で動かし始めた時期で、物理的に多忙だったこともあり、空港に行くことが無駄なことだと思えた。
最近、あまりにも多忙で心身ともに弱っているのがわかる。
そして、空港に行きたくなってきた。
そして思う。
あの頃に比べれば、格段に失うべきものは増えた。
自分だけの問題ではない。人の人生すら変えてしまう可能性がある。
あの頃も失うものが大きいと言い訳していたが、今思えば本当にちっぽけなものだった。
今だってそう。
勝手に失うものが大きいと思っているが、自分ひとりいなくなったところで、社会は何事もなく回り続ける。
巨大な機械に無数に嵌められたビスが一つ消えたところで、機械は何事もなく動き続ける。
そして、消えた穴にはすぐに代わりのビスが嵌められる。
誰だってそう。
人一人の力など社会全体を見れば塵のようなもの。
自分のストーリーは自分だけのものであり、自分だけのものでしかない。
人生は一度きり。
やったもん勝ち。
だけど、やらない言い訳が付くうちはまだ正常なのかも知れない。
現状に不満があるわけではない。
ただ、時間に追われる日常、変わらない毎日、多忙な日々に退屈を感じ始めている。