昔、知り合いの社長がとてもモテていた。
それは役職があるからでは?と誰かに言われた時、自分は役職や身分を隠してでも女性をおとすことができると豪語していた。
その姿には自信が漲っており、実際にその通りにできるのだろうと思えた。
とは言え、自信があるのは今まで築き上げてきたものがあるからで、何も成し遂げていない人間が同じことを言っても何の説得力もないだろう。
もちろん、生まれ持って備わった顔面やジゴロスキル(紐スキル)がある場合は別として。
それは即ち、ニワトリが先か玉子が先かみたいな話で、モテるモテないの分かれ目は自信の有無ではないかと思う。
興味が無い相手に限って好意を寄せられる現象はそれで説明が付くのではないかと思う。
自然体と自信は少し違う気もするけど、別に強く進展を望まない場合は緊張もしないし自信があるように見えるのではないか。
押しが強いというのも、似たようなものだと思う。
根拠が無くても、妙に自信有り気な人が頼りにされるのも同じだと思う。
声が大きければ尚良し。
その仕組みに気付いてから、私もとにかくはったりをかますようになった。
間違っていれば後で訂正すれば済む話。
もちろん、はったりかました後はきちんと調べて裏付けする必要はあるが。
話は変わるが、この前アパレルショップに買い物にいった。
店の場所も関係しているかも知れないが、店員は皆若く、そして少し外れているように見えた。
髪の色は明るく、耳に大きな穴が開いていて、タトゥーが見え隠れする。
それを外れると表現するのは偏見かも知れないが、少なくとも真面目な道を歩んでいるとは思えない。
私と歳は一回り以上違うだろう。
言葉にするのは難しいのだけど、エネルギーが漲っていて、少し話しただけでパワーを貰った気がした。
屈託の無い笑顔で職務に全うする姿は眩しく、なんとなくだけど、まだ余計な柵もなく緩やかな時間の中に存在しているように感じた。
一言で言えば別世界の人。
そして自分もいつかはそこにいた。
自分も昔は何も知らなくて、もっと純粋でいられた。
色んな人間と触れ合ううちに、良い人の数だけ悪い人がいることを知った。
しかも延べ人数で。
いつの間にか人に対してバリアを張るようになり、何事に対しても穿ったものの見方をするようになった。
それが正しいことだとも思えない。
歳を重ねて、脳も体も心も凝り固まっている。
その理由は、目の前に築いた砂上の楼閣を固めないといけないからではないか。
きっと、すべてを棄てて自由になりたいと望んでいるのかも知れない。
これでもやはり日々の生活から心には負荷を受けているのか。
今必要なものは何か。
今すべきことは何か。
今日の打ち合わせの予定は何を守るために参加するのか。
十年前も同じ事を考えていた気がするし、この十年間で自分が得た物は何か。
失ったものは何か。
余計な事は何も考えたくなくて、一時でいいから、ただ能天気に空の果てに何があるかを空想していたい。