コロナウイルスの影響があるのかどうか微妙だけど、最近はめっきり家から外に出ることがなくなった。
自宅で仕事ができる環境を整えてから、より一層オンオフの切り替えが無くなったのと、外出する時間を取らなくなった。
油が跳ねるのが嫌なので自炊はしない。
もともとは外食をよくしていたけど、最近はほぼない。
消毒やらなんやら面倒くさいのと、営業時間もよくわからない。
コンビニで何か買ったりしていたが、飽きたというか、コンビニに行くことすら面倒くさくなった。
いつからか毎食のようにUber EATSとDiDi Foodに頼るようになった。
はっきり言って高い。
もちろん、自分が楽しているのだから高いのは当たり前なんだけど、謎の罪悪感が生まれる。
今はコロナウイルスが蔓延しているから仕方ない。
今は仕事が忙しいから必要経費。
そんな馬鹿みたいな言い訳を自分に言い聞かせ続けていたが、さすがにやめた。
手数料や宅配料がかかるのはわかる。
本来店側が負担すべき分を料理代金に含んでいるのがだんだん腹立ってきた。
総額だけ見ておけばいいのに、ある意味火事場泥棒じゃん、なんて理不尽な思考に陥る。
まぁ、他にも色々理由はあって、最近は油こそ使わないが米を炊いたりニワトリの卵を焼いてみたり(ニワトリごめん)、多少はマシな食生活を送っている。
私の仕事は不安定なので、はっきり言って来年のことなどわからない。
いや、それは誰しも同じなんだけど、公務員と較べるとその不透明度が高いことは事実。
捕らぬ狸の皮算用をせざるを得ない状況が続く。
こんな生き方を選んだので、転落することは覚悟の上。
またいつかのように、貧乏生活に戻ることだって十分にあり得る。
最低、手元に毎月いくらあれば生きていけるか。
毎日そんなことばかり考える日々。
例えば掃除機とか、例えば整髪料とか。
そんなものは無くても生きていける。
だけど、水と食料だけは確保しないといけない。
当たり前の話なんだけど、人間も野生動物も同じ。
皆、今日食べていくために生きている。
どんな崇高な理由を付けてみても、働くのはご飯を食べるため。
いつの間にか、そんな当たり前のことも見えなくなっていたのかも知れない。
若い頃はなるべく安いお徳用のパスタを大量に買って、少しずつ茹でてソース無しで毎日食べていた気がする。
今はどうだ。
自ら課した労働時間を引き合いにして、多少割高な宅配でも利用する権利があると思ってはいないか。
一人暮らし、残念ながら慰謝料や養育費を払う相手はいない。
お金がかかる趣味もなければ、お酒も大して飲まない。
どうせそこまで生きないだろうから貯蓄もしない。
並の収入があればお金は余る。
お金が多少余っただけなのに、お金目当てに女性が寄り付く。
当たり前の話なんだけど、お金があればなんでも買える。
人の心さえも買える。
私は大してお金はない。
前述した通り、使い道がないから多少あるように見えるだけ。
そんなんでも金に群がる人間を見て心底疲れる。
でも当たり前だ。
誰しも今日のご飯を食べるためにお金が必要。
養う家族がいるなら尚更だ。
世の中すべてお金で回っている。
当たり前の話。
当たり前のことなんだけど、なんとなくみんなそれを暗黙のルールみたいな感じで、ふわっと布切れ被せている感じしない?
誰しもそれは当たり前のこととして理解して生きているのか。
私はようやくその本質に触れたというか、自分の中の布切れを剥いでみた感じ。
結局、人は何のために生きるのか、何のために働くのか。
その本質的なところ、自分自身でも触れないように生きた方が幸せなのかも知れない。