小学校の頃、美術の時間だったか道徳の時間だったか忘れたけど、皆でキティちゃんを模写しましょう!っていう課題があった。

 

僕は絵心がまったくないどころか、当時からその画伯っぷりは担任や親の失笑を買うレベルだった。

 

とは言え、模写や写生は見たものをそのまま描けばいいだけなので、比較的やりやすい。

 

 

当時は絵が上手な子を「すごいなぁ」って思っていた。

 

そして、いつか自分も、“本気を出せば”、“能力が目覚めれば”、“コツさえ掴めれば”、同じレベルに達すると信じていた。

 

だって、別に絵を専門的に習っているわけでもないのに、ここまでレベルの差が出るのはおかしいと思っていたから。

 

まぁ実際はそんなこともなく、絵は先天的な能力だということに気付くのもそれほど遅くはなかった。

 

 

閑話休題。

 

キティちゃんの模写なんだけど、これが思った以上に難しく、僕は自分が描いたキティちゃんを見て絶望した記憶がある。

 

与えられた画用紙は1枚で、確かクレヨンかクレパスで描いていた。

 

やり直しはできない。

 

自分が産み出した目の前の得体の知れない生物を見て、ここからが勝負、如何にして「ちょっと失敗した」レベルにまでもっていけるか。

 

少なくとも、「まぁ、キティちゃんではあるよね。」レベルまでもっていけるか。

 

まぁ、そんなことは到底不可能で、加筆すればするほど、目の前の生物は邪悪さと奇妙さを増していき、これ以上やると果たして生物なのかすら疑問になりそうなレベルにまで達したところでタイムアップが迫ってきた。

 

周りを見ると、「どう見てもキティちゃん」に、余った時間で自分なりのオリジナリティを加えている。

 

服の色だったり、リボンの模様だったり、男子はサッカーボールを蹴らせてみたり。

 

僕は半ば意識が飛びそうになりながら、この授業の意味を考えていた。

 

模写なんて何の意味があるのかと思っていたけど、こうやって人によって個性が出るんだなぁ。なんて小学生ながら達観していたのを覚えている。

 

そして、斜め前の女子が振り向き様に僕の絵を見て、とても嫌な目をしたのは忘れない。

 

 

別に悪気なんてない。

 

ただ僕は、少なくともキティちゃんを真面目に模写したということだけは分かって欲しくて、残りの1分を利用して、赤色のクレパスで体の真ん中(服の中央)に「HALO きてい」と書いた。

 

ここに混沌を極めた。

 

キティちゃんは、一人ずつ担任に提出していくことになった。

 

まだ若い新任の女性教師は、子供が自由な発想で描くキティちゃんを微笑みながら眺め、「かわいいね。」とか「キティちゃんは野球なんてしないでしょ?」とか、なんか微笑ましい感じだった。

 

僕は列の後ろの方に並びながら、なんとも言えない気持ちだった。

 

嫌でもすぐに僕の番が来て、女性教師がそれを見た瞬間、「んっ」と言って笑顔が消えたのは今でも忘れない。

 

その後、職員室に呼び出され、なぜか「HALO きてい」と書いたことを怒られた。

 

「元のキティちゃんにはそんなのないでしょ!」みたいな感じだったか。

 

僕は怒られながら、そんなこと言い出したらリボンの模様もサッカーボールもないじゃんって思っていたけど、もちろん黙っていた。

 

優しい教頭先生が様子を見に来て、様子だけ見て去っていった。

 

連絡帳に何か難しいことを書かれ、その絵は持ち帰ることになった。

 

 

その後どうなったかというと、多分一ヶ月ぐらい(授業参観が終わるまで)、みんなのハローキティは教室の後ろに貼り出されていた。

 

その中に「HALO きてい」はいない。

 

何故なら、家のリビングに貼られていたからだ。

 

連絡帳を見た母親は爆笑し「HALO きてい」をリビングに貼り付けた。

 

仕事から帰ってきた父はその化け物を見て、何の反応も示さなかった。

 

翌日になれば家族は誰もそれに触れなくなった。

 

飼っていた犬だけがしつこく「HALO きてい」に向かって吠えていたけど、それも数日で収まった。

 

期間は定かではないけれど、守り神(邪神)のように1年ぐらいずっとリビングに貼られていた。

 

 

もちろん、通信簿の美術は「がんばりましょう」だった。