正しいこと、正しくないことなんてのは存在しない。
「こうあるべき」とか「こうすべき」を人に強要するのは傲慢で、まだ未成熟な子供に対する教育ならまだしも、大人間の会話の中で自分の正しさを押し付けるのは良くない。
正しさというのは自分の中でしか証明されない。
どこにも答えのないそれは、「自分が信じる」ことで正しさを生む。
自分の正義を人に信じさせることができるなら、教祖や詐欺師、政治家の素質がある。
ましてや真実が無いものに対しては一層難しい。
こんなことはみんな当たり前に知っていることだと思っている。
よく価値観という言葉に置き換えられるけど、考え方が人それぞれ異なるのは当たり前で、お互いに尊重し合うことこそ協調性ともいえる。
だけどいる。
我こそ正義。
自分の考え方が常に正しくて、異なる意見に対しては真っ向から否定する。
こういう人間に対して、周りの大人は正に「大人な対応」をする。
実際にその意見を採用することはなくとも、ことを荒立てぬようにとりあえずは聞いて、適当に褒めておく。
そうすると本人は満足なのだろうけど、もちろん裸の王様になる。
「めんどくさい人」になる。
ただ、「扱いやすい人」でもある。
僕の周りにもいる。
僕はそのおっさんと議論をするつもりはないので、会話の中ではスイッチを踏まないように言葉を選び、もし変なスイッチが入ってしまえば完全な同意に徹する。
なんかおかしなことを言っていると思っても、正直どうでもいい。
どうせ折り合わないのだし、議論するだけ無駄。
説き伏せる価値もない。
というか、自分の意見を通さないといけないような話を、そんなめんどくさい人としなければならない場面はほぼない。
もらい事故みたいな時はあるけど、自分の意見を通したい時は毅然とする。
普段から反論をあまり受けず、ある意味持ち上げられてきたようなタイプの人は、割と毅然とした態度には弱いもの。
こうすべき、こうあるべき、などとすぐに人に意見するような人に限って、自分の中の正義などない場合が多い。
その場その場で、自分の狭い価値観の中で判断した結果を振りかざしているだけ。
どうでもいい話は適当に同意しておくのが最善だし、その性質がわかっているのなら議論になるような話題を避けるのが得策。
なのに。
先日、ふと訊かれた。
【面】めんどくさいおっさん
面:「宮迫どうなると思う?」
僕:「どうなんでしょうね。」(えぇ・・・知らんけど)
面:「俺、アメトーーク!好きだし、解雇はやりすぎだと思う。」
僕:「そんな気もしますね。」(なんの話・・・。)
面:「そんな気もするってお前、他人事じゃないぞ。」 ※スイッチON
僕:(えぇ、これでスイッチ入るのか・・・)
面:「恫喝するとか、一方的に契約解除するとか、社員を奴隷と考えてるとしか思えない。」
僕:「そうですねぇ。」
面:「今の社会において、そんな時代遅れな企業が生き残っていけるわけがない。だから批判も殺到してるぞ。」
僕:「そうですねぇ。」
面:「このままやったら大変なことになるぞ。」
僕:「そうですねぇ。」(大変なこと・・・。)
面:「どうするのがベストだと思う?」
僕:(えっ・・・。)
僕:「いやぁ、まぁ、その、なんというか、あれじゃないですか。とりあえず今回はお咎めなしでいいんじゃないですか。」
面:「それは違うやろ。」
僕:(うぇぇ。)
みたいなことがあり、吉本興業のお家騒動に間接的に巻き込まれた話。
結局10分くらいありがたい説法を聞いていました。
要約すると、もう一度きちんと話し合って、お互いの非を認め、経営陣は減俸、宮迫は番組で謝罪、で万事うまくいくらしいです。
そもそも、事の成り行きもよく知らないし、くそどうでもいいし、なぜこんなことに熱くなれるのか疑問だったけれど、一応お約束だと思って聞いてみた。
僕:「ロンブーの亮さんはどうしたらいいですか?」
面:「わからん。」
僕:(えぇぇ。)