経済状況や育った環境によるところに大きいと思うけれど、何かしら買い物をする時、「高すぎる」と思う金額はいくらか。
もちろん、「何を買うか」というのが大切な要素なのはわかっている。
結局はそのモノの対価なので、同じ50万円だとしても、新車のベンツとミネラルウォーター1本なら感じ方は違う。
それは当たり前。
だけどそういう対価という要素を取っ払って考えた時、いくらなら「高すぎる」と思うか。
僕は20万円。
欲しい何かを手にしたいと思った時、20万円を超えると高い買い物をしたと感じる。
逆に言うと、20万円を超えると躊躇する。
5万円なら、一時の痛手、仮に失敗したとしてもどうせすぐに忘れる。
だけど20万円となると、人生を考えてしまう。
自分の人生にとって、今買おうとしているものは本当に必要なのか。
もとが貧乏性なので、そういう思考になる。
もし、2000万円のマンションを買おうとするならば、その額は途方も無さ過ぎて頭がバグるというか、逆に決断は早いかも知れない。
結局は何に使うか、自分で元も子もない話に戻るけれど、対価次第なのは間違いない。
お金が貯まる人とは感覚がまったく違うと思う。
支離滅裂になってきた。
20万円の支払いに躊躇する時、いつもタクシーのことを考える。
これはきっと、タクシーに乗ること自体、とても無駄で贅沢なことだと感じているからだと思う。
今、職場から自宅までタクシーで帰ろうと思えば、だいたい4千円ぐらいはかかる。
いつも高いと思う。
無駄だと思う。
だけど、年間50回乗ってようやく20万円に達する。
そう考えると案外安いのかも知れない。
話は変わるけど、例えば高い買い物をする時、それを補填する術って考えるものなのか。
僕はいつも考えてしまう。
今確かに20万円支払うけど、次の仕事で上手くすれば20万円は取り戻せる、なんて考えて気持ちを楽にする。
これは逃げの一手で、今20万円を支払うことと、次の20万円はまた別の話なのに。
今20万円が無くなることは変わりない。
そんな風に、いつも小者で器の小さいことを考えながら暮らしている。
本当に貧乏性なんだろうと思う。
それとも自信が無いのか。
自分の人生にとって本当に必要なものなら、値段を気にせずに買えばいい。
それが無駄なのか無駄でないのかの判断ができなくて、自分の中で言い訳を考えている感じ。
もし、年収1億あればこの感覚は変わるのかは興味ある。
ただ一つ言えることは、「20万円を取り戻そう」という気持ちは大きく働く。
20万円を取り戻すための行動をする。
それが吉と出ることも、時には凶と出ることもあるだろう。
だいたい取り戻すって言ったって、別に奪われたわけではなく、20万円分の対価はきちんと受け取っているはずなのに。
やっぱり無駄なものを買っていると思っているのかも知れない。