正直、忙しい。
これまでの人生で「忙しい」と思っていた時間は、実は全く忙しくなかったのだと思えるほど多忙。
仕事が忙しいのはありがたいことだし、好きでやっていることなので、忙しいことに不満を漏らすつもりはない。
やらないといけないことをすべてやり切れるうちは、まだ余裕がある状態だと思う。
今はやらないといけないことの中でも、とりあえずこれだけは落とせないことをこなすだけで手一杯。
最悪お金で解決できることや、謝って済むようなことは後回し。
ハッキリ言ってキャパオーバー。
わかってはいる。
とりあえず今は、手の打ち所を間違えないようにだけ気を付けている。
そんな僕が今一番気を付けているのは、「忙しい」を人に伝えないこと。
伝えないというのは、言葉にしないということではない。
むしろ逆で、もし忙しいか尋ねられたら、言葉では忙しいという。
だけど周囲から見れば、口では忙しいって言ってもまだ余裕ありそうだな、と思ってもらえるのが理想。
その理由は三つある。
まず一つ目は、周りに気を遣わせる。
見るからに忙しそうだと、誰も誘ってくれなくなる。
それに、話しかけられる度に「お忙しいところすみません。」とまず言われるようになる。
それは本当によくないことだと思う。
プライベートだと浅い関係の人は去っていくし、ビジネスだと気を遣われて本当は必要な情報が伝わらなくなることもある。
二つ目は、運が逃げる。
余裕の無い人間に仕事は回ってこない。
僕が飛び抜けて仕事ができるだとか、唯一無二の才能があるとかならまだしも、代わりなんていくらでもいる世界で、仕事をいただけるだけでありがたい。
忙しそうだから他を当たろうなんて思われて、仕事と一緒に運が逃げるのは勿体ない。
そして、最後はなによりも格好悪い。
適度に仕事が忙しくて充実しているのは格好いいかも知れない。
だけど、まったく余裕が無くて連日徹夜している状態、そしてそれが周囲にも認知されている状態ってあんまり格好よくないと思う。
多忙が過ぎるのは、ある意味では自己管理ができていない、どこかで無理をしているってことだと思う。
だけど仕方ない。
そういう方法でしか今はできないのだから。
だからせめて、他人にはその姿を見せないようにする。
忙しいって言いながらも、旅行に行った話をする。
余裕が無いなんて言いながらも、周りに人がいる時はコーヒーでも飲みながら落ち着いている振りをする。
誰もいなくなったら、吐きそうになりながら頑張る。
それって本当に格好良いの?
まぁ、格好いいかどうかよりも、見栄というか、「大丈夫?」とか「手伝おうか?」とか言われたくない。
いざとなったら、助けを求めないといけない。
だけど今はもう少し、自分の力で乗り越えてみたい。
なんで、こんなことを思うかと言うと、僕自身、忙しそうな人を見ると気を遣うというか、「何か違う」と思ってしまう。
例えば、宅配便が届いた時、もうオートロックのインターホンに映っている段階から急いでいるのがわかる時がある。
部屋まで届けに来て、受領のサインを書く時も、明らかに急いでいるのがわかる。
やり取りが終わると、挨拶もそこそこに去っていく。
もちろん、大変なのはわかる。
彼らも一分一秒を争っているんだと思う。
でも、なんかしんどい。
会社が悪いのだと思う。
配達員にそうさせてしまうほどの荷物量、一人の負担が大き過ぎるんだろう。
やっぱり、どんなに忙しくても、穏やかに笑顔で人に接する方が格好よくないかな。
人の振り見て我が振り直せじゃないけど、どんなピンチの時だって、落ち着いて「どうにかなるさ」と笑っていられるような大人になりたい。