僕はそんなに音楽に造詣が深くないけれど、昔はよくヒットチャートにのるような曲を聴いていた。
曲よりも歌詞を重視する傾向があり、時に共感し、時に励まされ、時に落ち込まされてきた。
楽器なんて弾けない。
どの音がベースでどの音がギターかなんてわからない。
ビブラートだスタッカートだなんて言われてもさっぱりわからないし、
誰が歌が上手いだの下手だのもまったくわからない。(みんな上手く聞こえる。)
それでも毎日音楽は聴くし、「NO MUSIC NO LIFE」なのは間違いない。
いくつか人生のバイブルとも言える曲もある。
昔、初めて電気グルーヴの「Shangri-La」を聴いてから、
“彼女にすれば どうにでもなるし”
を信じて生きてきた。
まだ彼女なんて出来たことがない頃。
性への関心も強く、妄想に明け暮れ、いつも悶々としていた時代。
ピエールの言葉は僕に勇気を与えた。
彼女にすればどうにでもなるんだ!
あんなことやこんなこと、彼女がいればどうにでもなるんだ!
実際、この歌詞がそういう意味なのかはわからないけど、少なくとも僕はそういうことだと信じてきた。
ピエールは嘘を付かないし、実際そうだった。
彼女にすればどうにでもなった。
冗談でも過剰表現でもなく、本当に僕はこの言葉にマインドコントロールされていて、
いつしか目的が「彼女にすること」になっていた。
誰でもいいなんて言わないけれど、本来の意味から少し捩じ曲げて、「とりあえず彼女にしてから考えよう」なんて思うようになった。
だって、彼女にすればどうにでもなるんだもん。(ピエールが言ってた。)
それが、最近、ピエールが嘘を付いているかもしれないことに気付いた。
いや、別にピエールは嘘を付かないんだけど、彼女にしてもどうにもならない事態に陥った。
結局、彼氏彼女の関係なんてのはただの決め事であって、何の意味も持たない。
機が熟していないなら、形式上彼女にしてもどうにもならない。
いや、これは矛盾というかおかしな話で、宗教上の理由やプラトニックな思想でもない限り、
基本的にはピエールの言う通り彼女にすればどうにでもなるのだ。
まぁ、亀甲だの蝋燭だのお母さんだの首絞めだの聖水だの、
そういうのはまた別のハードルがあるかも知れないけど、
ノーマルであれば大抵はどうにでもなる。
大義名分というか、当然そうあるべきだと思うし、今までもずっとそうだった。
だけど、どうにもならない。
これは非常に厄介で、どうにでもなると思ったから彼女にしたのに、どうにもならなかったらとても面倒だ。
こんなことを言えば、それは僕のやり方の問題だと思う人は多い。
自分だってそう思う。
きっと何かを間違えたし、今も何かを間違っている。
だって、ピエールが言ってたのに、どうにもならないわけない。
だけど、人間には相性がある。
上手く伝える言葉がわからないのだけれど、とにかくどうにもならない。
相性が奇跡的に悪い?
どこかでどうにかしたくないと思っている自分がいるのかも知れない。
だけど今までは、仮に自分が望まなかったとしてもどうにでもなって来たはずなのに、どうにもならない。
そもそもの目的として、どうにでもするために彼女にしたのに、どうにもならない彼女なら必要がない。
もちろん、彼女にする目的がなんなのか、好きだから彼女にしたのではないのか、そういう風に非難されるのはわかる。
だけど違う。
彼女にすれば好きになると思った。
もともと、人を好きになるのには時間がかかるタイプ。
彼女にすればどうにでもなると思っていたんだ。
だって、ピエールは嘘を付かない。
離婚は結婚よりも体力がいるっていうのはよく聞くけど、恋愛だってそう。
愛の告白よりも別れを切り出す方がしんどい。
だって、自分の心が痛むから。
それは傲慢ではなく、ただ自分がかわいいだけ。
正直逃げたい。
面倒くさい。
だけど、さすがにこの歳になって逃げるわけにもいかない。
そもそも、どうにもなっていないのに、別れを告げる必要があるのか。
僕は一体何をしているのか。
みんな気軽に、こうしたらいい、ああしたらいい、なんてアドバイスくれるけど、そんなことは百も承知。
だけどできないし、したくないし、日毎自分の気持ちも変わるし、最終的な終着点も見えていない。
それに今逃げたら、ピエールが嘘を付いたことになってしまう。
ピエールは嘘を付かない。
この件について考えたり憂鬱になっているのが、本当に人生において無駄かも知れないと思う。
本当に何をやっているんだろ。