よく「人を好きになったことがあるんですか?」と訊かれる。
問題なのは、それを訊いても失礼に当たらないと思われていることだと思う。
そしてさらに問題なのが、それを訊かれても不快にはならないということ。
決して愉快でもないが、「あぁ、またか。」という感じ。
それを訊かれたら決まって返す言葉がある。
「人を好きになるってどういう状態のこと?」
別に意地悪ややり返してやろうなんて気持ちは毛頭無い。
ただ単純に知りたいと思う。
みんなが言う「人を好きになる」って何?
だいたい返ってくる言葉は、具体的だけど捉えにくい事象ばかり。
それだったらあるけど?ってなる。
だけど、それで誤解が解けることはまずない。
何が言いたいのかと言うと、何故こんなにも人に誤解されるのか、という疑問。
人を好きになることがあるのかどうかに疑問を持たれるのって、どういう印象を与えた結果なのだろう。
僕はよく嘘や冗談を言うと誤解されているけど、基本的に嘘は付かない。
昔は嘘も方便で口を開けば虚言が飛び出していたけれど、それはただの虚勢だった。
今はそれなりに自信はあるし、謙虚さもあるつもり。
虚勢を張る意味が無い。
自問してみる。
人を好きになったことがあるのか。
考えるまでもない。
もちろん、ある。
だけど振り返れば、最後に人を好きになったのはいつだったか。
思い返せば、僕と関わった女性は皆愛おしい。
だけど、好きだったのかはよくわからない。
数年前まで付き合っていた女性のことがとても好きだった。
自分の人生を変えるほどに。
その想いは相手の女性にも伝わっていたはず。
だけど、いつだったか何気なく言われた。
「私のことが好きなわけじゃなくて、恋に恋しているだけじゃない?」
(ちょっと何言ってるかわからない。)
一瞬、サンドウィッチマン富澤になった。
今なら何となくわかる。
誰かのために何かをしている自分。
それはとても満たされている自分。
普段ならしないようなことができる自分。
そんな自分が愛おしい。
その相手は誰でもいい?
でもそれって、割と有り触れた愛の形じゃないのかって思う。
そういうことではないのか?
一生、誰かのために頑張れるとして、その自分が愛おしいとして、その誰かが誰でもいいのだとしたら、それは愛ではないのか。
きっと、特定の人でないと認められないのかも知れない。
見透かされているから、僕の行動は少し嘘っぽくて心に響かないのだろうか。
じゃあやっぱり僕は人を好きになることがないのか。
僕は恋に恋している自分が愛おしいだけで、人を好きになることなんてない。
それは自分では納得はしないし理解もできない。
だけど知っている。
周りの意見はだいたい正しい。