久しぶりにアメブロにログインしようとしたらパスワードがわからなくて、ユーザーIDが間違っているのかと試行錯誤しているうちに、過去のブログにログインしてしまった。


今のアカウントではなくて、もう一つ前の黒歴史。


存在すら忘れかけていたもので、今さら読み返すのも勇気がいるのだけれど、日付を見ていると最初の投稿が2009年4月になっている。


ご丁寧にその時住んでいたマンションのベランダから撮った夜景まで載せている。


間違いなく10年前の自分自身だった。



最近はブログの投稿もほとんどしなくなったけど、思い返せば10年。


飽きっぽい自分にすれば、他に例を見ないぐらい続いているものになる。


その第一の理由は、やっぱり読んでくれる人がいることで、書くことに意義が見い出せたからだと思う。



もともと、特定されないことを前提に、本音、主に心の澱を吐き出していた。


それは今も同じだけれど、つまりはこの10年の軌跡には紛れもない自分自身が詰まっている。



少しだけ過去のブログを読み返してみると、それは最早自分ではない。


化学的には細胞分裂を繰り返して全くの別人なのだから当たり前かも知れない。


だけど、10年前、そのくだらない男は確かに存在した。


なんとなくそんな気もしていたけれど、その過去は、自分の妄想、作り上げられた虚構、存在しない夢の世界なのではないかと半ば自分の記憶を疑っていた。


だけど、存在した。



その男は、精神を病み、向精神薬が自分を救うと疑わず、またそれを公言することを憚らなかった。


その男は、自分の不遇を時代のせいにし、いつか飛躍する時が勝手にやって来ることをただ信じて待っていた。


そしてその男は、年収の3倍近い借金を抱えていたらしい。


前述した通り、嘘や飾り立てたものはない。と思う。


信じられないけれど、本当にその男はいたのだろうし、信じられないけれど、その男は自分の過去らしい。



借金を抱えて精神を病み、死にたくならなかったのか。


これは今の自分の記憶の限りだけれど、実際に死んでしまいたいと思ったことは何度かある。


その本気度は、今となってはわからないけれど。



おめでたいことに、いつか自分の時代が来ると信じていた分、まだ未来に希望はあったはず。


だけど、マンションの非常階段の踊り場から下を覗き込んで、フッと体を乗り出してしまうような感覚もあった。


電車のホームギリギリに立って、あと一歩の勇気ですべてを終わらせることができると考えたこともあった。


でも生きているのは、本気じゃなかったのか、単に勇気が無かったのか。


わからないけど、一つだけ確かなこと。


それは、両親を悲しませたくないから。



両親はニュースを見ながらよく言っていた。


自分より子供が先に死ぬことほど悲しいことはない。



だから自分は生きている。


今でもたまにふと消えてしまいたいと思うことはある。


だけど、いつも両親の顔とその言葉が頭に浮かぶ。


車の運転をしていても、その言葉を思い出してスピードを落とす。



時代が違うこともあるだろうけど、両親と僕は生き方がまったく違う。


若くして結婚した両親は、子どもを三人育てあげた。


決して裕福ではなかった。


父はただ真面目で愚直に働き続けた。


母は子を育て家庭を守りながら、足りない家計をパートで補った。



高価で無価値なものを買い、形が残らない遊びに大枚をはたく僕をどう思うのか。


育て方を誤ったと愚痴るのか、少しでも自分の子を誇れるところはあるのか。



いつか両親がいなくなるその日まで生きていたなら、その先自分は何のために生きるのか。


だから、独りで生きていきたいわけじゃない。


みんなが持つ幸せをただ欲しているだけじゃない。


誰かのために生きていたい。



世間一般で言う親孝行なんて僕にはできない。


僕ができるのは、先に死なないことと、年に一回、母の日にブーケを贈るだけ。