今年の目標は結婚することだったのだけど、すでに心が折れて諦めた。

自分の市場価値や婚活の難しさのためではない。

友人知人言わせれば、その付き合いが長ければ長いほど、深ければ深いほど、僕は「結婚には向いていない」らしい。

僕は今までそんなことはないと思っていた。


縁が無いまま30代半ばを過ぎ、出会う相手とは最初から結婚を意識した付き合い方を余儀なくされる。

若い女性や結婚に興味が無い女性と付き合えばそうでもないのかも知れないけど、タイムリミットは男にもある。

自分自身も、半ば無意識に結婚生活を見据えた付き合い方をしている。


これは性差もあるのか、いつまでも夢を見るバカな僕は、恋に堕ちた末の婚姻に恋焦がれる。

どんな場所に住むのか、家事の分担はどうするのか、共働きなのか、子供は、親の面倒は、結婚式は、エアコンの温度は。

最初から主張と妥協点の探り合いから始まる付き合いは、もはや恋愛ではなく物件探しに近い。

まだ条件が明確化している分、物件探しの方が楽だ。

日本人の奥ゆかしさなのか、自分の主張をオブラートに包みながら相手の思考や価値観を探り合う。

そういうのに疲れた。

そして、そもそも結婚が目的ではないことに気付く。

結婚して生活の質を上げたいのではなく、残された時間を満たされていたいだけ。

一ヶ月でもいいから、永遠なる愛を信じてみたいだけ。


結局は自分自身の問題。

そもそも性差の上に成り立つもので、相手が条件だけを見ていてもいい。

貪欲な女性に辟易しているのではなく、いつの間にか相手のスペックしか見なくなっている自分に嫌気が差しているだけ。


30歳を過ぎた頃から、周囲の既婚者から結婚について問われる機会が増えた。

皆、ただの世間話または興味本位なのだろうけど、大抵は無責任な持論で説法してくる。

僕に聞く耳はあるけれど、大抵は受け流す。

そもそも思考回路に不具合があるらしい僕に、一般的な意見など馴染まない。

いや、そういうマジョリティに憧れて真似した結果がこの有様だ。


求めてはいけない。

自然体であるべきだ。

自分に言い聞かせる。


自分が魅力ある人間であれば、自然と人は集まってくる。

順序を間違えてはいけないし、時間を無駄にしてはいけない。

伝説になるためには、レベルを上げて強い武具を手に入れる必要がある。

カンダタやバラモスを倒した程度で慢心するのではなく、ゾーマを倒してこそ意味がある。

ただ、実際の勇者がゾーマを倒した後、元の世界には戻れていないのが気に掛かるところではある。


時代背景もあるし、男女比率ももちろんある。

誰でもいいから結婚したいのであれば、今までも何度か機会はあった。

それでも足を踏み入れなかったのは、未来が見えなかったからだ。


無理して結婚する必要なんてない。

そう思う。

だけれど、結婚したくないわけではない。

メリット(望んでいる未来)もあるだろう。

デメリット(不自由な生活)もあるだろう。

だけどそれはすべて空想であり、経験がないので本当かどうかもわからない。

結婚の形は人それぞれで、誰かの意見が自分に当てはまるとは限らない。

そもそも、メリットやデメリットを考えている時点で望む未来は描けない気がする。

とは言うものの若くはない。

綺麗事や勢いで事が進むほどの恋愛なんて、探しても見付からない。


僕の信条として、何事も諦めずに行動を続ければ、歪だとしてもいつか形にはなる。

目標を結婚とするならば、婚活をすればいい。

だけど、僕が望む結婚はただの結婚ではない。

死ぬまで一緒にいたいと思える人と結婚がしたい。

そうした場合、起こすべき行動はお見合いや婚活アプリではなく、ただ自分を磨き上げることだと気付いた。

その結果、望むものは手に入らないかも知れないけど、それは仕方ない。


ここ数年は、他人が手にしていて自分が持っていないものを揃えるための努力ばかりをしてきた。

足りないものはまだまだ多いけれど、少しずつ揃いつつあると感じている。

だけど欲しいのは他人が既に持っているものじゃなかった。

自分が手にしたいものを手にしないと意味がない。

他人が持っているものをただ欲しがっている人間が魅力的なのか。

自分が欲しいものを追い求めている方が良いに決まっている。


少しがむしゃらに生きてきた気がする。

体も少し摩耗した。

やらないといけないことはたくさんある。

休んでいる暇なんてない。

だけれど、今、少し立ち止まって考えてみる時期に来ているのかも知れないと感じた。