いやいや、厳しい暑さが連日続き、日中の街中はまるでサウナ。
はやくも夏バテ気味。
学生の頃は運動部に入っていて、夏は暑ければ暑いほどやる気が出たものですが、今はもうダメ。
熱中症なんかにはならないと思っていたのに、今はものすごく危険を感じる。
まぁ、これも、大人になったということですか。
昔は結構ゲーム好きで、暇さえあればゲームをしていたものだけど、よくある話で、最近はもうすぐに飽きてしまって楽しいと思えない。
でも、ゲームが楽しかった昔の記憶があるので、ソフトが自分に向いていないだけだと思って、また違うソフトを買ってしまう。
4、5時間ぐらいプレイするけど一向に楽しくなく、飽き、すぐに売ってしまう。
我ながら何度同じ過ちを繰り返すのかと呆れ果てながらも、きっとまた同じことをすると思う。
今度はどれだけ面白くなくても、エンディングを見るまではやってみよう!
って毎回思うのだけれど。
飽き性なので続かない。
もうちょっとやれば面白くなるのに、っていう人もいるけど、面白くなるかどうかわからないものに割ける時間はそんなに多くない。
昔よりゲームが面白くなくなったなんて言葉を、例えばYouTubeのコメント欄なんかでもよく見るけれど、実際はどうなんでしょうか。
面白いかどうかは個人の趣向に合うかどうかってところもあるので一概には言えないと思うけど、少なくとも変わったとは思う。
技術の進化に伴って出来ることが増えたから、昔に比べて自由度が格段に上がったと感じる。
そして、僕がすぐに飽きてしまうのは、その自由さ故ではないかと考える。
オープンワールドが増えてきたというか、海外製のオープンワールドなゲームが多く市場に出回っているというべきか、自由なら自由なだけ良いって風潮を感じる。
確かに楽しそうで、僕もそれに釣られるところもあるんだけど、正直しんどい。
何がしんどいって、歩き回れるところが広ければ広いほど、すべてを見て回りたくなって疲れてしまう。
昔からそう。
ドラクエにしてもFFにしても、広いダンジョンはすべてくまなく探索したい。
宝箱はすべて取りたい。
遊べる時間が無限にあるのであれば、その広さを面白さに変えることができるのだろうけど、限られた時間で楽しみたい場合はどうしても重荷に感じてしまう。
向いていないのかも。
オンラインゲームとか、実は一度もやったことない。
悲しいことに、インターネットの世界でうまく溶け込める気がしないし、何より遊んでいる間は誰かに気をつかいたくないって思ってしまう。
古い固い考えです。
なんかそうやって時代に取り残されていくのかも知れない、なんて思うことさえある。
オンラインゲームって、プレイヤーが何人もいて、誰かがラスボス倒したら終わりなの?
オープンワールドって、行く場所によってストーリーが変化していくの?
とか夢があるのかないのかわからないような愚問が先だって、どうも素直に楽しめない。
一体自分はゲームに何を求めているのか。
昔の楽しい思い出が、無駄にゲームの楽しみを求めさせる。
ゲームの自由度ってそんなに重要なのか。
決められたルートがあって、決められた範囲内で、何があっても逸脱しない、そんな安心感。
VRが進化して、現実とゲームの区別が付かなくなるような未来も近いと思うけど、ゲームの世界だから気兼ねなく自由にどうぞ~ってなったとしたら、人は理性のタガを外して欲望、本能のままに行動できるのか。
昔から、ゲームと現実の区別が付かなくなる危険性についてはよく社会的な問題として挙がっていた気もするけれど。
例えば僕が何をしても自由な世界に放り込まれたとして、そこには銃もありドラッグもあり豪華な食事もありセクシーなギャルもいたとして、いったい何をするのか。
きっと何もしない。
だいたい、自由を与えられたとしても何をすればいいかわからなくて、近い範囲内をうろうろさまよって終わる。
そのうち飽きてヨガでも始めるのが関の山。
だけれども、それが何日も続いたら、少しずつ本能というか欲望が顔を出し、いつの間にか暴虐の限りを尽くし、殺戮王子となり、果ては破壊の神となってしまうかも知れない。
1日2時間だけ世界を手中にする。
他の22時間は現実世界。
そのうち時間配分がおかしくなって、いつの間にかゲームの世界から帰ってこなくなる。
または、ゲームと現実の区別が付かなくなって、事件を起こしてしまう。
なんか、そんな姿は容易に想像できてしまう。
ヨガで悟りを開くか、殺戮王子となるか。
ゲームに限ったことではないけれど、技術の進歩とともに、そろそろ人間は超えてはいけない一線というのを明確に定めるべきなのではないかと思う。
いやぁ。
僕はやっぱり自由なゲームはいいや。
現実は限りなく自由なのに、わざわざ創られた自由に逃げ込むこともない、かな。