最近あまりブログを書かなくなったのは二つの理由がある。
①単純に仕事が忙しくプライベートな時間を割くことができなかったこと。
②負の感情や毒のような黒い部分を吐き出すことに抵抗を覚えたこと。
②がまずあって、①を言い訳にしていた感じ。
別に義務でも仕事でもないので言い訳も何もないのだけれど、もともとこうやってブログを書くことで得ていた満足感を手放す理由をこじつけたという感じ。
自分としては、別に負の感情や黒い部分の捌け口にしていたつもりはない。
だけれど、自分で自分の書いたものを読み返してみると、ろくなこと書いてない、これは自分自身と読んだ人を不幸にするのではないかと感じた。
いつの頃か、僕は周りからネガティブだと言われるようになった。
それで本当に自分はネガティブなのだと思い、それを直す必要があると考え始めた。
ブログに今思っていることを書き出すだけで、自分のネガティブな部分と嫌でも向き合わなければならない。
それを避けていた部分もある。
あと僕は、文章を簡潔にまとめるのが苦手だ。
よって、話が数珠のように繋がり、起承転転転転転転転転結のようになる。
するとさらにダラダラ続く愚痴のようになり、書く度に読む度に自己嫌悪に陥っていた。
自分のネガティブさが根源となり、負の言葉が紡がれる。
そんな風に思っていたのだけれど。
ここ数年で確信したことがある。
僕は超絶ポジティブだということに。
何故、そんなことが言えるかというと、自分よりポジティブな人間にはなかなか出会わないから。
僕のことをネガティブだと言う人に限って、無神経だったりネガティブだと思う。
そもそも僕がネガティブだと言われる所以は、その慎重さにあると思う。
鉄橋を重機で何度も攻撃し、爆破までして、それでも渡らないことがある。
そんな話をすると、人はネガティブだと言う。
だけどそれは違う。
後ろ向きなのであれば、そもそも橋を叩こうなんてしない。
その先にあるものを手に入れたいと思うからこそ、徹底的に安全性を確保する。
毒沼の先に宝箱があったとした場合、その毒が自分にどれほどのダメージを与えるのか、その宝箱の先には毒沼ではない平坦な道があるのか、万が一宝箱の中身がミミックだった場合に戦える体力は残るのか。
そういえば昔RPGをやっている時も、いつも装備やレベルを万全にして敵に挑んでいた。
東西南北を覚えたのもドラクエだし。
ゲームは少なからず自分を形成する要素になっているのかもしれない。
もし、ポジティブ=楽観的、ネガティブ=悲観的、だというのならネガティブと言われても仕方ない。
だけれど、ポジティブ=前向き(肯定的)、ネガティブ=後向き(否定的)なのであれば、僕は超絶ポジティブだと言える。
斥候も出さず、武器も無しで戦場に飛び込んでいくのは楽観的ではあるが前向きとは言えない。
とは言うものの、その病的なまでの慎重さは直さないといけないとも思っている。
その慎重さが功を奏す時もあれば、機を逃すこともある。
要は見極めが大切で、慎重にならなくてもよい場面は過度な下調べなどは不要だと思う。
最近、あるブログに興味を持って暇があれば読んでいる。
それはもしかすると、事実ではないのかも知れないが、無職で借金がある人の日常を書いたブログ。
正直、どこか見下して読んでいるところはある。
反面教師にしようとしている自分がいる。
負の連鎖を断ち切れないその作者は、いつも変に前向きではあるが、不平不満を吐き散らしている。
それでも読んでいて不快は無いし、むしろ優越感に近いものさえ覚える。
もちろんそれは、その人の文章力があってこそかもしれない。
だけれど、不平不満や愚痴は決して人を不幸にするものではないと思った。
そこから学ぶべきこともある。
他人の不幸は蜜の味なんてのは性悪かも知れないが、余程の聖人でもない限り、誰しもが持つ感情だと思うし、自分自身の中にあるそういった感情を僕は否定しないし隠さない。
隠したところでそれが消えるものでもないし、今は高い場所から見下ろしているが、一歩間違えれば自分もすぐそこに落ちるという危機感は常にある。
自分が今立っている場所が、自分が思っているほど高台ではないことも知っている。
無職で借金のある人の記事を読むと、他人事とは思えない。
20代の頃の自分はまさに同じような状況で、生活は困窮し、周りを見る余裕もなく、かと言って這い上がる努力は何もしない。
そこには漠然とした自信と希望だけがあり、いつか自分に都合の良い風が吹き、高い場所へと誘われると信じていた。
絶対とは言わないが、まぁそんな風は吹かない。
今こうして一時ではあるが、平穏な生活を送ることができるのは、「運が良かった」の一言に尽きる。
ただし、運も実力のうちというが、まさにその通りで、引き寄せるだけの何かは必ず必要だと思う。
その何かというのは、人に対する献身の気持ちであったり、ひたすら耐え忍ぶ忍耐であったり、自分を高める啓発であったり。
僕もそこは曖昧で明確な答えはわからないけれど、少なくとも、自分が陥った状況を受け入れる姿勢は必ず必要だと思う。
それが自分の責任であっても本当に不運であっても。
不運が続き、本当にどうしようもない時は、実際どうしようもない。
もがけばもがくほどどつぼにはまり、良かれと思って起こす行動はすべて裏目に出る。
冷静な判断が出来なくなっているので、それが悪手だということに気付けない。
今思えば、到底考えられないような馬鹿げた行動も、当時の自分は最善策だと信じていたに違いない。
なので、そういうブログを読むと、とても理解できる。
そして、二度とそんな風になってはいけないと戒める。
言い方は悪いけど、そういう「楽しみ方」もある。
人間が書く「事実」は、それが喜怒哀楽のどれに当たるとしても、必ず勉強になるし楽しいものだと思う。
真に迫るほどなおさらに。
自分自身の人生や思考に人の心を揺さぶるほどの力があるとは思えないけれど、共感してもらえる人を見つけるため、そして未来の自分への戒めのため、少しずつ日常の色んなことを書き留めていこうと思った。