会社員を辞めて数年が経った。
最初はフリーランスという立場で始め、もし失敗しても会社員に戻ればいいと思っていた。
その頃はまだ31歳だったので、いくらでもリカバリはできると思った。
フリーランスというのは、どれだけ自分自身が責任を持って仕事をしていたとしても、やはり背負う責任というのは限られた範囲に留まることが多かった。
それは、裏を返せば簡単に辞めることができるということ。
要は、仕事を“整理”して、戻ることが容易だったと思う。
失敗すれば会社員に戻ればいい。
そんな甘さとも保険とも取れる想いは、会社を立ち上げた今でも心の割と浅い部分に残っている。
弱気になる時、挫けそうな時、いとも簡単に頭に思い浮かぶ選択肢の一つ。
戻りたいのか?と問われれば、その答えを出すのに3日は掛かりそう。
そして、戻れるのか?と思慮すれば、それはやはり難しい。
フリーランスの時と違って、背負っている責任の重さが違う。
簡単に断ち切れない柵もある。
何より、安定と引き換えに手に入れた“自由”を手放すぐらいなら、もう少し頑張ってみよう、とも思える。
最悪、無一文になったとしても、命まで取られるわけじゃない。
例え住む家さえ失ったとしても、生きていれば再起はできる。
とにかく、もう戻れない。
安定と引き換えに、自由と贅沢を求めたつもりだった。
だけど、他に失うものもあった。
それは、仲間や連帯感。
元々、他人と慣れあうのは得意じゃないし、一人でも孤独を感じることは無かったので、それが“失うもの”だとは思っていなかった。
元々自分には無いものだと思っていた。
例えば、20代前半で会社に入ってそのまま勤めていれば、もう勤続15年ぐらいになる。
15年間、同じ職場で働いた仲間と、昔話に花を咲かせることができるなんて、とても羨ましく思う。
辛いことを共に乗り越えたならば、信頼関係や絆も深まるに違いない。
あの時はこうだった、あぁだったと言い合える関係というのは、今の自分にはない。
有名人が亡くなった時のテレビの報道で、数十年来の友人の言葉なんてのが映るけれど、自分にはそんな尊いものを築くことができるのか。
昔、仲良くしていた友人たちも、いつの間にか疎遠になった。
新しい友人は出来るけれど、お互いの環境が変わればまた離れていってしまうのかも知れない。
仲良くしている女性はいても、どうせ訪れる別れを思うと今一歩踏み込む気になれない。
公私混同してしまったけれど、自分は独りぼっちなのだと思うことが多くなった。
色んな意味で、人が生きていく上で一番大切なのは人との繋がりだと思う。
そんなことは子どもの頃から、色んな人に教えられたり、本に書かれていたりしていたのに、どこか他人事のように受け流していた。
たった一人の親友と、たった一人の愛する人、そして子ども。
何一つ手にしていない自分は、本当に“自由”を手に入れたのか。
物憂げな気分にさせるのは、春の匂いのせいかも知れない。