冬になると夏が恋しくなる。
安定があると不安定に憧れる。
僕はいつでもそうで、考えてみれば、今まで生きてきて、一度として現状に満足した生活を送ったことが無い気がする。
なんだかんだ“今”に文句を付けて、もっといい今があるはずだ!とふて腐れる。
やらなきゃいけないと思い込んでいることができていないからだと思う。
この前、ふと考えたのだけど、やらなきゃいけないことをやらなくていいことにしよう。
最低限の仕事だけして、とりあえず目先は食べていけるのなら、残った時間は何もしない。
眠たければ寝ればいいし、お腹が空けば食べればいい。
好奇心が芽生えたらどこかに行けばいいし、キャバクラでも風俗でもなんでもいい。
無駄だろうと生産性が無かろうと関係ない。
やらなきゃいけないことは何もない。
何も考えない。
何もしない。
そして、その中から何かが産まれてくるなんて期待しない。
それが案外難しいのですよ。
何もかもを切り捨てるなんて無理で、期限があるものはやらざるを得ない。
何も考えないなんて無理で、嫌なことを考えては憂鬱になる。
それはやっぱり生活があるからで、親に守られていた頃ならできた気もする。
何とかしてその境地に辿り着く、言うならば完璧にONとOFFを切り替える術を習得するために、とりあえず牛乳を飲み始めたわけだけれども、今のところまったく上手くいかない。
今が楽しくて仕方ない、なんて生活は幻想なのか。
贅沢な悩みなのはわかっているが、もっと満たされたい。
話は変わり、暇なのです。
仕事が。
多忙な時期は暇を求めたのに、暇になれば憂鬱になる。
極端なのも問題だと思うけど、それは仕方ない。
暇だと時間が経つのが遅いし、サボり癖が顔を出す。
一日ぼーっと座っているだけでお金が貰えるなんて、なんて羨ましい。
なんてことはわかってはいるが、暇はやっぱり苦痛だ。
これもまた贅沢な悩み。
贅沢な悩みが言えるようになったことを考えてみると、今が少しは愛おしく思えるけど、やっぱり足りない。
もっと欲しい。
強欲は罪か。