掃除をしていたわけではない。
引越をするわけでもない。
なんだかよく分からないが、いつの間にかこんなことになってしまい、僕は段ボール箱を開けている。
段ボール箱の中には、アルバム類が入っていて、そんな暇は無いはずなのに、おもむろにアルバムを開いていく。
幼稚園、小学校、中学校、高校。
卒業アルバムや家族旅行の写真。
ノスタルジックで感傷的な気分になる。
若い頃の父、母、姉。
死んでしまった愛犬。
昔の自分はどれもふて腐れて、周りのものすべてが気に食わないような顔をしている。
端正な顔立ちをしているわけではないので、僕は写真が好きではない。
現実と向き合うのは得意ではない。
写真というのは、人類の発明品の中でも、飛び抜けて素晴らしい。
その瞬間を記録する事が出来る。
坂本龍馬の顔だってわかる。
だからといって、明日、ビックカメラで一眼レフを買って、週末を写真撮影に費やす気は全くない。
二十代の記録が全くない。
写真に撮られるのが好きじゃないので、自分の意思で撮らなくなったからか。
違う。
色んな意味で余裕が無かった。
よく言えば、その日暮らし、がむしゃらに生きてきた、ということになるか。
勿体ないような気がする。
いつか自分に子供が出来ても、若かりし髪があった頃の自分を信じさせることができない。
自分の写真を撮って、TwitterやFacebookに投稿することに、とても否定的な自分がいるが、それは羨望なのかも知れない。
永遠なんて事は無いが、少なくともしばらくはその記録は残る。
ふと昔の事を思い返して、こんなこともあったなぁ、なんて。
でも本当にそんなことがあったのか。
例えば十年ほど昔、あべの橋までバスで行って、そこから近鉄電車に乗って、古市まで行く。
通勤コースだ。
間違いなくそうしていたはずなのに、本当にそんなことがあったのか。
あったのだろうけど、思い出せない。
その頃自分は、日々何を考えてた?
どうしていいのか分からないけど、仕事に追われ、日々が過ぎ去っていくのが勿体ない。
インドアだと言い訳して、部屋の中で寝ているのが勿体ない。
意味は無くとも、夜中に町を歩き回る方が意義がある。
人生一度きり。
なんでも出来るが、実際は何も出来ない。
何をすべきか。
何もしなくていいのか。
信頼など裏切ってもいいのか。
そもそも、信頼などあるのか。
何をして生きていくのか。
どうせ100年後には、生きた証拠すら残らないのに。