暑い。

こんなに暑いのに毎日働かなきゃいけないなんて。

社会人十三年目。

未だに夏休みが恋しい。


泳げない私は、水泳の時間など地獄の想いで忌々しく思っていたけれど、今では炎天下の中、街を歩いていると、服を脱ぎ捨ててプールに飛び込みたくなる。

泳げないからなんだと言うのだ。

テストの点数がいい奴もいれば悪い奴もいる。

泳げる奴もいれば泳げない奴もいる。

そんなこと大したことじゃない。

折角の水泳の時間。

思う存分、水浴びを楽しめば良いのだ。


と、十数年前の自分に言ったところで、私は納得しないだろう。

泳げないのは結構辛い。

溺れていく姿は惨めで、情けない。

今だってそうだ。

大人になった今だって、みんなでプールに行って、本気で泳ごうってなったら、恥ずかしいし惨めな気分になるし、当日は雨が降ることを願うだろう。


後から思い返せば、大抵のことはくだらないことだ。

生き死にに関わることなどほとんどない。


十五年前の自分と今の自分。

成長などしていない。

弱い自分を目の当たりにした時、本質は何も変わっていないことを実感する。

そんなものかも知れない。

四十になっても五十になっても還暦を迎えても、本質は変わらない。

知って覚えて、なんとなく成長したような気になってるけど、狡猾に自分の弱さを隠す術を身に付けるだけ。

いや、成長する人はすると思うけど、少なくとも私は違う。


自分の弱さ、幼児性をひた隠す。

成長したいという気持ちもあまりない。

今はそう、とにかく生きていけたらいい。

生産性など無くてもいい。

週末に美味しいものを食べて、惰性を享受して、出来る限り楽に生きていけばいい。

どうせその時は死ぬのだし。


嘘です。

このままずるずると何も成さないまま死んでいく人生など享受できるわけがない。

何かを成そうともがき、もがいた挙げ句、何も手にすることが出来ず、死の直前に虚しさに包まれるとしても、それは仕方無い。

成そうともがけば、成るかもしれないじゃないか。

成った自分に絶望したとしても。


人生は不思議です。

宇宙から見ればなんたらで、人間の一生なんて刹那なのに、どうせ何もかも一瞬で消え失せるものなのに、それでも意味を持たせようとする。

子孫の繁栄以外の意味を見出そうとする。

よくわからない。


「よくわからない。」

なんて便利な言葉なのだろう。

そんなことを言われたら、何も言い返せないじゃないか。