波瀾万丈とは言わないが、それなりに喜怒哀楽、起伏のある人生を送ってきた。

図らずも、自分では本能のままに道を選んできたつもり。


人は過ちを犯す。

誰だって生きてる限り平坦な人生など無い。

生きていれば、必ず壁にぶち当たるし、死にたくなることもある。

世の中の不公平感に絶望することもあれば、他人の冷たさに失望することもある。

マイナスなことばかり並べたけど、もちろん逆もある。


本当に、誰もが起伏のある人生を送ってきたのか?

本当に、誰もが人に言えない悩みを抱えて生きているのか?

本当はこの人たちは、大きな挫折もなく、誰もが容易に思い描けるような人生を送ってきたのではないのか。

上流とは言えなくても、不自由の無い家庭に生まれ、当たり前のように家族に愛される。

気が付けば周りには友達がたくさんいて、体育祭や文化祭で力を合わせて一つのことを成し遂げる。

部活動や期末テストで劣等感を感じ、練習し、勉強し、努力はいつも必ず報われることを知る。

当たり前のように大学に進学し、サークル活動。

就活で日本社会のシビアさを痛感するも、それなりの企業に入社。

良い先輩や同僚に囲まれ、教えられた仕事をこなす。

当たり前のように出来た恋人と、当たり前のように買った車で、当たり前のように神戸の夜景を見て、当たり前のように永遠の誓いを交わす。



人と違う道を選んだのは自分自身なので、他人の幸福を妬んでも仕方ない。

だけどこの人達は、たった一度でも、マンションの屋上に立ち、飛び降りたいと考えたことはあるのか。

親の顔が浮かび、思い留まったことはあるのか。


他人と話していると、そんなことをふと思うことがある。

ただの妬み。

それもまた罪。

どこか病んでいるのだろう。


最近、あらゆることが上手く回り始めていて、不安で仕方がない。

自分の人生において、何一つ、自分が想像した以上の満足感を得られたことは無かった。

自分が起こした行動に対する結果。

それはいつも想定以下で、そして大抵は想定外の問題が付きまとう。

いつも充たされていなくて、いつも何かに不安を抱いている。

不安を打ち消すために動けば、また一つ違う問題に直面する。

いつも絶対何かが足りなくて、いつの間にか、充たされることに現実味を感じなくなっていたかも知れない。

充たされても充たされても不安で仕方がない。

どうせすぐに消えていく。

失った時の絶望を受け入れたくないから、失う前に捨てる。

捨てたい。

充たされると、何をすればいいのかわからない。

更に充足を望むのか。

身の丈以上の幸福を求めると、必ず天罰が下る。

今ある充足をただ守るだけの日々は案外つまらなく、創造的じゃない。

物足りなくて、壊したくなる。

壊したところで、食べるものに困るわけでは無いし、命の危険が迫ることもない。

恵まれた環境の中で、充たされる、充たされない、不安、不満、充足、創造、あーだこーだと御託を並べて、一体何をしてるんだろう。

充たされても、案外つまらないことに気付いたので、誰かを幸せにしたい。