間に合うか。
二十代最後の記事になるか、
三十代最初の記事になるか、
微妙な感じ。
先週末のスーパーでの光景。
夜22時過ぎぐらい、
僕は買い物をしていたわけですよ。
野菜と果物とビールをカゴに入れて、
レジに列んでました。
僕の前には、
七人グループ。
五十代前半ぐらいの夫婦二組(A夫婦、B夫婦)
八十代ぐらいの女性(A女の親?)
二十代前半ぐらいの女性(C→おそらくA夫婦の娘)
赤ちゃん(おそらくCの息子)
AグループとB夫婦は同じレジで別々に会計してて、
先にB夫婦が会計を終わらせた。
A夫婦とB夫婦はとめどなく何かを話している。
レジはAグループの番。
その後ろに列んでいるのが僕。
レジのおばちゃんが、
Aグループのカゴの中にある商品を通していく。
するとA女が、
レジのおばちゃんになにやら袋を差し出した。
見ると、
バナナクレープ(まるごとバナナ?)っぽいデザートの袋。
中身は無い。
袋は、
生クリームでベタベタになっている。
A女は、
それもレジに通せと言っている。
レジのおばちゃんは、
若干戸惑いながらも、
そのデザートの袋のバーコードを通した。
赤ちゃんがお菓子を食べている。
Cが「これも!」と言って、
食べかけのお菓子をレジに差し出した。
おばちゃんがバーコードを通すと、
すぐにそれを赤ちゃんの手に戻して、
赤ちゃんはまた貪り始める。
その間も、
A夫婦とB夫婦は何やら楽しげに話している。
Aグループのお金を払ったのは、
恐らくA女の親であろう高齢の女性。
僕の常識からすると、
本当に有り得ない。
店内の商品を、
お金を払う前に開封して食べるなんて有り得ない。
そりゃあ、
小さい子供がいれば、
開けちゃうこともあると思う。
それは仕方無い。
仕方無いけど、
普通は謝ると思うんだけどな。
しかもバナナクレープは、
これは僕の想像なんだけど、
食べたのは赤ちゃんじゃなさそうなんだよね。
というのも、
バナナクレープ一個まるごと食べられそうな感じじゃなかったし、
手や口も汚れてなかった。
袋があんなにベタベタなら、
手や口だって生クリームでベタベタになってそうなものだし。
まぁ、
大人が食べたのか子供が食べたのかはいいとして、
その行為が法的に罪なのかどうかを僕は知らない。
だけど僕に置き換えれば、
店に並んでるビールを取って、
おもむろに飲み干して、
レジで空缶を渡してお金を払うようなものでしょう?
そんなことを許したら、
スーパーがフードコートになるじゃん。
僕が不快に感じたのは、
誰もそれに罪の意識を感じていないこと。
お金を払うんだからいいんでしょ、
って感じに見えた。
いい大人が六人もいて、
誰一人悪びれることもなく。
当たり前だ。
その人たちにとっては、
それは悪いことじゃないんだから。
価値観の違い。
僕は非常識だと思うけど、
その人たちはそうは思わない。
それは仕方無い。
だけどみんなが自分の価値観で好き放題したら、
社会の秩序なんて崩壊する。
だから法律がある。
あぁ、
0時になった。
法的に三十代になっちゃった。
まぁいいや。
店内の商品を会計前に食べる。
法律違反か?
もし法律違反で無いのなら、
議論しても僕に勝ち目は無い。
仮に百人中九十人が僕と同じ考え方でも、
法的なルールが無いのなら文句は言えない。
窃盗罪っぽい気もするけど、
お金を払うならセーフか?
万引きも店出るまではセーフらしいし。
まぁ、
どっちでもいいや。
それより、
人は組織を作って社会を形成する。
組織の中には色んな人が集まる。
その中に僕もいれば、
その人たちもいる。
そう考えると、
価値観が異なる人たちと交わること、
組織の中で働くことは、
相当なストレスだろうなぁと思った。
ましてや、
一緒に同じ業務をこなす人や、
直属の上司や部下がそんな人なら、
もうストレスMAXで確実に胃を壊す。
世の中は、
図太い人間と狡猾な人間が生き残るように出来ているのだ。
まぁつまり、
言いたいことを要約すると、
世の中には色んな人がいるなぁってこと。
人は一人じゃ生きていけないかも知れないけど、
決定的に価値観が違う人とも生きていけない気がした。
「自分とは住む世界が違う。」
貧富や身分や環境や国家の差ではなく、
意外と身近でもそう感じることがたまにあるけど、
実際、
本当に溶け込めないんだろうな。
極端な話、
戦争否定派の僕が、
戦争肯定派のグループに混じれるわけがない。
三十年かけて形成した価値観は、
そんなに簡単には崩れない。
そう簡単に人は変われない。
だけど面白いのは、
その人たちも別に悪い人たちじゃなさそうなんだよね。
一緒にご飯でも食べれば、
案外打ち解けることができるかも知れない。
だからってわけじゃないけど、
人にはそれぞれ価値観があって、
それが僕には理解できなくても、
それは決して間違った考え方ではない。
自分が間違ってるかも知れないし、
そもそも何が正しいなんて、
誰にも裁く権利は無い。
自分と価値観が大きくすれ違うと、
ストレスに感じてイライラする。
頭おかしいんじゃないか?
死ねばいいのに。
そう思うけれど、
それはお互い様なわけで、
無理に毛嫌いしても、
自分に何のメリットもない。
我慢ってわけじゃないけれど、
相手を尊重しつつ、
無闇に敵を作らず、
常に自分が正しいと思うことなく、
謙虚に堅実に、
ただ「その時」だけは大胆かつ豪快に、
なんとなく適当に生きていこう。
歳の区切りで豊富なんて、
くだらなすぎて吐き気がするけど、
つい数日前にこうした光景を見て、
なんとなくそう思ったんだ。
二十代最後の記事になるか、
三十代最初の記事になるか、
微妙な感じ。
先週末のスーパーでの光景。
夜22時過ぎぐらい、
僕は買い物をしていたわけですよ。
野菜と果物とビールをカゴに入れて、
レジに列んでました。
僕の前には、
七人グループ。
五十代前半ぐらいの夫婦二組(A夫婦、B夫婦)
八十代ぐらいの女性(A女の親?)
二十代前半ぐらいの女性(C→おそらくA夫婦の娘)
赤ちゃん(おそらくCの息子)
AグループとB夫婦は同じレジで別々に会計してて、
先にB夫婦が会計を終わらせた。
A夫婦とB夫婦はとめどなく何かを話している。
レジはAグループの番。
その後ろに列んでいるのが僕。
レジのおばちゃんが、
Aグループのカゴの中にある商品を通していく。
するとA女が、
レジのおばちゃんになにやら袋を差し出した。
見ると、
バナナクレープ(まるごとバナナ?)っぽいデザートの袋。
中身は無い。
袋は、
生クリームでベタベタになっている。
A女は、
それもレジに通せと言っている。
レジのおばちゃんは、
若干戸惑いながらも、
そのデザートの袋のバーコードを通した。
赤ちゃんがお菓子を食べている。
Cが「これも!」と言って、
食べかけのお菓子をレジに差し出した。
おばちゃんがバーコードを通すと、
すぐにそれを赤ちゃんの手に戻して、
赤ちゃんはまた貪り始める。
その間も、
A夫婦とB夫婦は何やら楽しげに話している。
Aグループのお金を払ったのは、
恐らくA女の親であろう高齢の女性。
僕の常識からすると、
本当に有り得ない。
店内の商品を、
お金を払う前に開封して食べるなんて有り得ない。
そりゃあ、
小さい子供がいれば、
開けちゃうこともあると思う。
それは仕方無い。
仕方無いけど、
普通は謝ると思うんだけどな。
しかもバナナクレープは、
これは僕の想像なんだけど、
食べたのは赤ちゃんじゃなさそうなんだよね。
というのも、
バナナクレープ一個まるごと食べられそうな感じじゃなかったし、
手や口も汚れてなかった。
袋があんなにベタベタなら、
手や口だって生クリームでベタベタになってそうなものだし。
まぁ、
大人が食べたのか子供が食べたのかはいいとして、
その行為が法的に罪なのかどうかを僕は知らない。
だけど僕に置き換えれば、
店に並んでるビールを取って、
おもむろに飲み干して、
レジで空缶を渡してお金を払うようなものでしょう?
そんなことを許したら、
スーパーがフードコートになるじゃん。
僕が不快に感じたのは、
誰もそれに罪の意識を感じていないこと。
お金を払うんだからいいんでしょ、
って感じに見えた。
いい大人が六人もいて、
誰一人悪びれることもなく。
当たり前だ。
その人たちにとっては、
それは悪いことじゃないんだから。
価値観の違い。
僕は非常識だと思うけど、
その人たちはそうは思わない。
それは仕方無い。
だけどみんなが自分の価値観で好き放題したら、
社会の秩序なんて崩壊する。
だから法律がある。
あぁ、
0時になった。
法的に三十代になっちゃった。
まぁいいや。
店内の商品を会計前に食べる。
法律違反か?
もし法律違反で無いのなら、
議論しても僕に勝ち目は無い。
仮に百人中九十人が僕と同じ考え方でも、
法的なルールが無いのなら文句は言えない。
窃盗罪っぽい気もするけど、
お金を払うならセーフか?
万引きも店出るまではセーフらしいし。
まぁ、
どっちでもいいや。
それより、
人は組織を作って社会を形成する。
組織の中には色んな人が集まる。
その中に僕もいれば、
その人たちもいる。
そう考えると、
価値観が異なる人たちと交わること、
組織の中で働くことは、
相当なストレスだろうなぁと思った。
ましてや、
一緒に同じ業務をこなす人や、
直属の上司や部下がそんな人なら、
もうストレスMAXで確実に胃を壊す。
世の中は、
図太い人間と狡猾な人間が生き残るように出来ているのだ。
まぁつまり、
言いたいことを要約すると、
世の中には色んな人がいるなぁってこと。
人は一人じゃ生きていけないかも知れないけど、
決定的に価値観が違う人とも生きていけない気がした。
「自分とは住む世界が違う。」
貧富や身分や環境や国家の差ではなく、
意外と身近でもそう感じることがたまにあるけど、
実際、
本当に溶け込めないんだろうな。
極端な話、
戦争否定派の僕が、
戦争肯定派のグループに混じれるわけがない。
三十年かけて形成した価値観は、
そんなに簡単には崩れない。
そう簡単に人は変われない。
だけど面白いのは、
その人たちも別に悪い人たちじゃなさそうなんだよね。
一緒にご飯でも食べれば、
案外打ち解けることができるかも知れない。
だからってわけじゃないけど、
人にはそれぞれ価値観があって、
それが僕には理解できなくても、
それは決して間違った考え方ではない。
自分が間違ってるかも知れないし、
そもそも何が正しいなんて、
誰にも裁く権利は無い。
自分と価値観が大きくすれ違うと、
ストレスに感じてイライラする。
頭おかしいんじゃないか?
死ねばいいのに。
そう思うけれど、
それはお互い様なわけで、
無理に毛嫌いしても、
自分に何のメリットもない。
我慢ってわけじゃないけれど、
相手を尊重しつつ、
無闇に敵を作らず、
常に自分が正しいと思うことなく、
謙虚に堅実に、
ただ「その時」だけは大胆かつ豪快に、
なんとなく適当に生きていこう。
歳の区切りで豊富なんて、
くだらなすぎて吐き気がするけど、
つい数日前にこうした光景を見て、
なんとなくそう思ったんだ。