例えば不覚にも脱糞してしまった時、

途方に暮れながら、

Twitterで呟く。



『脱糞してしもた…』




何か違和感を感じませんか?


だって、

乗車率80%の電車の中で脱糞してるわけじゃん。


特急だから、

後25分は止まらないわけじゃん。


絶対絶命だよね?


そんな状況において、

Twitterで状況報告できるだけでもすごいのに、

末尾に「…」まで付けるんだよ?



僕ならせいぜい、

『私だっふん』

が限界だね。


漢字変換どころか、

「ふ」に半濁点を付ける余裕すら絶対に無いね。




『死にたい…』

『たすけて…』


本当に死にたいとして、

本当に危機的状況にあるとして、

もう死にたくて仕方が無いとして、

身の危険が迫って一刻を争う事態だとして、

末尾に「…」を付けるか?

ってことですよ。


違和感というか、

あざとさを感じずにはいられない。



『好きだよ…』

もどうなんだろう。


僕はその「…」から何を汲み取ればいいんだろう?


本当に好きなら、

好きだという気持ちを伝えたいのなら、

含みを持たせず、

「わしお前のことがすっきゃねん。」

でいいと思うんだよね。


シチュエーションにもよるけれど、

真面目な一言に「…」を付けると、

『さあ、「…」を付けて相手の反応を見てみましょー♪ぐへへへへ( ´艸`)』

に思えるんですよね。


さすがにひねくれ過ぎか?



「…」は、

笑いを助長したり、

台詞の中で使ったり、

読み手の想像力に委ねたり、

言葉以上の意味を込めたりするには時に有効だけど、

本当に相手に何かを伝えたい時には、

どうだろう?って思う。


なんか信憑性を一気に失わせるような気がするんだよね。



結局、

『脱糞してしもた…』



『だっふんだ!!』

に大差は無いと思うんだ。



極端過ぎるとは思うけど、

割と真剣に…。