なかなか更新できずにおります。
さらに、皆さまのところにも行けたり行けなかったり。
記事を拝見しても、いいね!を忘れたり、、、

のんびり更新、ゆっくり行進中です。



今日もお立ち寄りありがとうございます。

今日は、特別支援教育と合理的配慮の違いについて。

意外と知られていないと思います。
私も高専でのお仕事をさせていただくことになって、正しく理解したことでもあります。



まずは、【特別支援教育とは】

文科省から引っ張ってきました。

「特別支援教育」とは、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものである。



ポイントは、改善や克服が、目的であり目標であること。


次は、【合理的配慮とは】

まずは、Wikipediaから。

合理的配慮とは、障害者から何らかの助けを求める意思の表明があった場合、過度な負担になり過ぎない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要な便宜のことである。

こちらは文科省の具体例です。
文科省の具体例


ポイントは、社会的な障壁を取り除くということ。

これは、力を発揮できるような環境は整えますが、そのあとのことは、それぞれの努力ですよということで、改善や克服は目的、目標としていません。

つまり、
特別支援教育は、できるようになることまでを目標にしていますが、

合理的配慮は、障壁を取り除くだけで、できるようになることまでは含まれません。
合理的配慮は、スタートラインに立つための配慮(整備、工夫)はできますが、理解できるように、達成できるようにまでを目標としていません。

大学、高専のような高等教育機関は専門的な知識や技術を身につけるところです。
甘く採点するとか、彼らなりに出来ていればOKということにはなりません。
そして、究極、理解できるまで、達成できるまで支援することまでは求めるものではないのです。

一方、小中学校、高校では、配慮、工夫をしながら【できるようになるまで】、【一定レベルまで達するように】支援することまで含まれています。


些細な違いですが、、、
いや、結構、違います!

とはいえ、高等教育機関でも特別支援教育のような配慮や工夫、支援はされています。

法律では、高等教育機関では合理的配慮を義務づけているにとどまっています(努力義務をふくむ)

小中学校、高校は、合理的配慮と特別支援教育の両方があるため混同しがちです。
合理的配慮という言葉が一人歩きしているように感じています。

特別支援教育と合理的配慮は、微妙に異なります。

そもそも、特別支援教育という言葉も、合理的配慮という言葉もしっくりこないのですが、、、
漢字の持つ意味が幅が広すぎて、、、
本質がぼやけてしまってる印象です。

このあたりを語ると長くなるので、またの機会に。