2012年6月26日。
ようやく時間ができて、1ヶ月ぶりに純ちゃんを訪問。
彼女はいつも“元気そう”に、明るい口調で治療や体調の話をするからか、いまひとつピンとこない鈍感なわたしがいた。
(これは今もあまり変わっていないのだけど)


『先生と会話ができて、検査結果は悪いなりに異常無し。
第6クールに進まない理由がないと言ってもらえたよ。かなり、ホッとした。
望む、望まないはともかく、治療を受け付けられないほど身体が弱っての中止は悲しいもの。
このごろ、痛み止めや整腸剤を飲みたくないって断ると、
「使いたくても飲めない患者さんもいるんだよ」と先生に諭されます。
使って、少しでもストレスフリーであって欲しいと考えてくれています。
それでも、薬はいやだから断ってしまうのだけれど、飲める身体の自分と、調剤してくださる先生に感謝しています。』



純ちゃんは抗がん剤の副作用が抜けた後、次クール前までの期間は、お母さんのためになるべく退院して家に帰るようにしていた。
第5クール後のこのときも、その予定だった。
が、気管の狭窄により呼吸困難を起こしていたため、急遽、退院延期。
ステロイドで集中的に治療をすることに--。

このころ、彼女が弱音を口にすることは決してなかったけど、思うように治療が進まず、薬の増量、それに伴う副作用の悪化、連夜の点滴と厳しい入院生活。
毎日違う症状が出て、耐えて、疲れて。
残りの時間に怯えていたことを、わたしは知らなかった・・・。