3月は目まぐるしく時が過ぎ、生きる上で大切な事を学ぶ月となりました。
人を大事にすることの意味を根底から覆されたような、そんな月でしょうか。
部屋の観葉植物の葉っぱがバサバサと落ちたのが2月、アブラムシさんの仕業と気づいた時には既に遅く、枝を切り落としました。
このまま枝だけになるのかと、ソファーに寝転びながら見上げる日々。
『きよみ』と名付けた、その木は、私が大変お世話になっている清美さんから、ギャラクシーアート開設祝いで、いただいた記念樹です。
毎日、ソファーに寝転んではジロジロ見ていたせいか、きよみちゃんから緑の点々が。
新芽と確認できたのは一週間後ですが、生きてるんだな…と、しみじみジロジロ同じくソファーに寝転びながら見つめてしまいました。
私の芸術仲間であるぴャーさん=スーグリトンの言葉『世界は美しい』の感覚が何となく響きました。
【何もしないときがあっても、決して退屈じゃない。みてるものすべてが美しい。例え戦争中であっても、見えるとは何て幸せなんだろう】
何もないとおもったとこから、何かがうまれたり。
喪失感の中から得るものがあったり
その変化を感じとるというのは、何て幸せなことなんだろうと思いました。
今日から4月、どんな発見の月になるのか楽しみです。
