父のこと
今月上旬父が亡くなりました。今までがんセンターに通っていて、がんセンターの場合は投与した薬や説明を先生が丁寧にしてくださっていました。でも、父のCT、MRIによると癌じたいはおさまっていたようなのですが、頭痛がひどく一時的に緩和病院に転院したらどうかと言われました。そしたら、転移した朝倉医師会病院は信じられない、子供の時に新聞記事で見た「病院」でした。薬の説明十分になく、入院時と入院後の説明が違う。この説明なら転院してないということを入院初日に言われました。わたしは父と多少しなりとも会話をしているのに転移した時には意識が混濁していた…といわれ認識にも差がある状態。24時間一緒にいないと何を点滴されるのかわからない。何を点滴するのかおしえてほしいといったら「先生に聞いてください」先生はその日休み。休みの日は先生がいない。大きな病院なのにその先生しかみない。数日見てるとソルデム200ml一袋とたまに生理食塩液100ml、アセトアミノフェンとデキサートほぼ強引にモルヒネ。がんセンターで転院する前日まで点滴で1500ml(カロリーは800kcalくらいはあったと思います)していたのにも関わらず(転院の時点はむくみはありませんでした)、翌日はソルデム20kcal、200ml、アセトアミノフェン200ml(100×2)、デキサート100mlとモルヒネ。がんセンターでモルヒネを一度投与して効いていないといわれたのに、なぜかモルヒネの投与をされ続ける。いらないんじゃないかといっても転院のとき痛がって大変だったからの一点張り。でも、わたしが病院に到着したときはそうでなかった。どんどん呂律がまわらなくなっていって、母は呂律がまわらなくなった原因はモルヒネと言われたそうです。他のやりとりは点滴してもがん細胞がもっていくし、むくむでしょう。基礎代謝はどうなっているのかと聞いても無言。がん細胞が持っていくの一点張り。現時点ではむくんでいないと思っても聞く耳をもってくれませんでした。がんの終末期は20kcal、200-300mlで大丈夫です。むしろ多いくらいですよ。この点滴量でひと月生きられます。1500mlから急に減らしすぎではないかと聞いたのですが、自分はプロだから必要な点滴量がわかる。でも、転院前は肺がんの患者はみたことないからわからないといっていた。薬も点滴なら水分ですよ。(アセトアミノフェンとデキサート)薬の点滴や投与をする場合は教えてほしいと言ったらアセトアミノフェンとデキサートはなくなりました。ただ、わたしのいないときに母や姉に薬を投与したという話をしていたっぽい。下剤と解熱薬。尿のほうが点滴の水分より多いと何度も言ってとりあえず200kcal、500mlのビフリート一袋にかわりましたが、この点滴は針がさしっぱなしというはた目には怖い点滴。。それでも尿の量のほうが多い。そして額は体温が低いのに脇はわたしがいないときは体温が高い。意味が分からない。個室だったので、わたしは体温計持ち込んで体温を測ったりしてました。退院したいといっても突っぱねられました。担当医が言ったのは「他の病院とのつきあいもあるんですよ。退院なんてだめにきまっているでしょう。個人病院だとみてくれないんじゃない?」でした。父が通っていた大学病院は病院側の説明では転院を拒否したそうです。でも、同じような症状で診察してくれたのに。うまく食事がとれていない。そんな感じだったので、急いで自宅での介護の準備をすすめていた矢先に急になくなりました。死因もいつ検査したのと思うものでした。頭部のCTかMRIとらないとわからないんじゃないかと思うが、とってません。検査もしてない。本当にこんな思いをするならもう一浪して医学部目指せばよかった。転院するときは病院をしらべたうえで、退院したいといったらできるかを確認しておかないとだめだと思いました。本当にお父さんには苦しい思いをたくさんさせてごめんねとしかいえない。最初から在宅介護にするとがんセンターに言えばよかった。