アルチュール・ランボーは若くして詩を捨て、放浪し、沈黙へと向かいました。
彼の人生そのものが、「魂の独立」の実験でした。彼の言葉にこうあります:> 「Je est un autre(我は他者なり)」この逆説的な一文は、自己という存在がいかに他のものに開かれ、同時に、どこまでも「ひとり」であるかを示しています。
彼は詩人である以前に、「無頼者(ヴォワユー)」でした。魂の真実を求めるために、世界の常識や制度から逸脱していく存在。
宮沢賢治もまた、魂の独立者でした。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と語りながらも、彼はひとり山野を歩き、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、自らの命を他者の祈りに捧げました。
その根底にあるのは、自立した魂の静かな強さです。誰にも理解されなくてもいい。たとえ一人であっても、自分の道を歩む。そうした在り方にこそ、霊性の光は宿るのではないでしょうか。
「ただひとりで生き、ただひとりで死んでいく」──その静かな言葉の奥に、「魂の誇り」が立ち上がってきます。社会の価値観から降り、他者の承認を求めず、ただ静かに、しかし真剣に、この生を全うすること。
以上、抜粋。
今日一、素晴らしいブログで、またまたご紹介させて頂きました



誰にも理解されなくてもいい。たとえ一人であっても、自分の道を歩む。そうした在り方にこそ、霊性の光は宿る
痺れるぅ〜〜〜〜〜〜
(笑)


そうよ、そうよ!
宮沢賢治だって、一人っきりで、誰にも賛同されなくとも、農業やら、芸術やら、天然石集めたり、してたじゃない(笑)
あの時代、全く理解はされなかったはずよ。
変な人生なのよ、この人。
理念があるんだけど、人生シッチャカメッチャカなのよ(笑)
親のスネカジリだし。
お金あったのかなかったのか、、、
心配になるレベル。
だけど、魂には、正直だった。
こういう生き方をするのは、なかなか現世では困難だけれど、考え方は参考になるわ。