毎年のようにいっている仙台、それは震災からのご縁の鈴木有機農園の鈴木さんに会いに行くため。仙台の父です。

震災の記憶写真を残した建屋に

初めて行ったのは2011年5月にてんつくまん率いる、め組ジャパンの震災ボランティアで行きました。
大阪からのツアーで当時東京の私はなぜかというか東京からの便もなく一人で個人現地入りは難しいと考え、一人用のテントを担ぎ一人大阪まで行き皆と合流し石巻へ。
専修大学石巻の校庭がテントサイトになっていて現地の様子を視察したり、ひまわりプロジェクトとして(阪神大震災の時に花によって心救われたという話からひまわりを植えようプロジェクト)回ったり
そして鈴木有機農園さんもEMの比嘉先生とてんつくまんがつながっているご縁で何かお手伝い出来ないかっていうことで行きました。
当時田んぼは塩害にあっていて魚の干からびたのがあったり、ヘドロがあったりという状況でみんなで砂利拾いをしたり掃除しました。

そしてお昼にボランティア約50人に炊いてくれたご飯を出して下さり、その米の美味しかったこと。


鈴木さん自身も実の弟家族が亡くなったりと大変なのに。
東京では水とか買い込んでいる人がいるなかで食べ物を作ることができ、人に分け与えるだけの心を持っているってすごいことだなと。
私が農や地方の暮らしに興味を持つきっかけになりました。

EMの比嘉先生の御協力でEMタンクを設置(嫌がらせで蛇口を壊され全て流されたこともあったそう)



そして周りのサポートと何と言っても鈴木さんの今年は作付け無理だと言われたけど、そういうときにこそやって見せなきゃという“気”で乗り越え見事にその年米を実らせました。

塩害にあったけど、その塩さえ見方にして考え研究して。
EMとそのほか色々入れた自家製のぼかし肥料。

代々農家ではあったけど最初は会社勤めで管理や営業までやっていたのでその時代の学びや傍らやっていた農業の研究、そして毎日のブログ

今回夫婦で会いに行ってお話のなか得るものも多かったです。

鈴木さんは、野菜を売るときに始めからいくらの野菜を作ると決めてそれに見合った価値の野菜を作るそう。
だから野菜の価格が市場で高騰しても変わらないそう。

あと、震災の話も聞いて歯車が違っていたら自分も津波にのみ込まれていたかもという事を聞いて
いつ何が起きるかわからない、その日その日を大切に後悔しないように生きなきゃなと感じた。

また会いに色々お話に行きたいです!
そして震災で出会ったみんなにもまた再会したいな。

鈴木さんに最寄り駅まで送ってもらい仙台駅で
福島学院大学で教鞭をふるっている千葉一先生に会いに。


一昨年の銀河のマルシェで私は初めてお会いし、三陸の郷土話、海と山の関係性、インドにも長い間いて研究されていてそんなはなしも興味をそそられていました。

昔の人の風習、常識、掘り起こしてみると目から鱗な知恵、季節に即した生き方、あるんだろうな。

今後茂木の里山に住むようになるけどそこで地域のおじいちゃん、おばあちゃんからお茶のみがてら色んなお話聞けたら良いなって思いました。