ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの体験型アート展覧会(私の直訳です!)に

初日(8日)娘と早速行って来た。

 

私はもともと絵画はともかく

ゴッホという人間には非常に興味を持っていた。

 

20年以上も前になるが

岩波書籍で「ゴッホの手紙」という文庫本を

読んだのを今でも覚えている。

 

全く自分の描いた絵が売れなくて、画商である弟にお金を借りながら

「今度は本当にすごい作品を描くから」と言い続け

生活費の補助を受けながら

それでも描き続けた人である。

 

そして最後に精神を病んで自殺してしまうという

あまりにも芸術家お決まり(と私たちが思い込んでいる)

人生の幕を閉じるのであるが

それを読んだ時の私は

「ああだから、芸術とか好きなことに没頭しすぎないで、

平凡な人生を淡々と暮らすべきだ、といいたいんだろうな」と

本の意図を勝手に考えていた。

ありきたりでつまらなく

むしろ憎いとさえ思ってしまう「意図」ではあったが

逆らえない自分もそこにいた。

 

しかし今回の展覧館に行って

改めてゴッホの生涯についての説明書きをしっかり読み

音楽と照明と共にマルチスクリーンに映し出される

数々の絵画と彼の手紙の抜粋を読んで

私は全く別の視点からゴッホと言う人間の生き様を捉えることができた。

 

彼はもともと宗教関係の職業に就こうとしていたという。

それは今でいう医者とか弁護士とか

いわゆる高給料で高ステータスをもつ

「将来の不安のない成功した職業」と思われていた職業に就こうとしていた

ということである。

しかしゴッホはそれらにことごとく失敗してしまう。

 

二十七歳になって、やっと自分の魂の声に従い、画家を目ざす。

19世紀においては非常に遅い年齢で芸術家を目指す。

 

そして始めは静物画を中心として

しっかりとした技術をもって落ち着いた絵を描いている。

そしてパリや田舎へ移り、絵画に没頭する。

が、まったく受け入れられず、生活費を弟に頼る。

そして段々と精神を病み

最後に精神病患者を受け入れるアサイラムで過ごす。

この時期にあの有名な「スターリーナイト」という絵を描いているが

精神病者としての一番辛い時期であったらしいと知り

私はその絵の完成度とか熟度というものについて

いろいろと想うことがあった。

 

 

そして最後の作品、小麦畑上のカラス。

展覧ではそこで銃声が聞こえ

カラスが驚いて飛び立つという構成になっていた。

 

日本の木版画作品への想い。

潜在意識について。

自分の絵が売れないということについて。

星について。

死について。

ゴッホは信頼する弟にあてて、正直な気持ちを書き連ねている。

その一文一文が本当にまっすぐで純粋で、

ある意味切羽詰まっていて、

さらに心を打たれてしまう。

 

そして

「我々はいつか星にもどるのだ」という手紙の一文が紹介され、

それを読んだ時

私は彼の宇宙意識に気がついた。

 

当時は死ぬことを、神の元へ戻る、とか、

天に召されるというのが一般的であったとおもう。

そしてゴッホ自身画家となる前に宗教者をめざしていたのであれば

そのように教育されていたはずである。

 

しかしゴッホは「星にかえる」と言った。

 

 

これはもしかすると、彼自身、

今スピリチュアル界で言われている「プレアデス」とか「シリウス」とか

「ベガ」とか「アルクトゥルス」とか「オリオン」とか「リラ」とか

そういった星から人間(あるいは存在)がやってきて

この地球でさまざまな仕事を果たし

それが終わるとその星に「帰る」ということを意味していたのではないかと

私は思った。

 

19世紀にすでにそれを知っていたのであれば

ゴッホはまさに宇宙意識で生きていたのである。

そしてそうであれば、

彼の、いわゆる才能はあるけれど「惨めな」人生というものに対し

新しい一面が加わってくる。

 

ゴッホは、始めはいわゆる世間一般でいう「成功」した職業につこうとして

ことごとく叶わなかった。

そして遅咲きながらも

自分の魂の声、創造したいという声に従うことに決めたのだ。

どんなに生活が苦しく、周りの人に理解されなくとも、

絵を描くことへの情熱と喜びを決して失わなかった。

 

”じっと観察するのだ。そうすれば、物は本質を表してくる。”

 

なんでもかんでも一瞬のうちに結果を出そうという現代における、

彼のこの一言の重み。

 

そして愛するということ。

”ひまわりは、ある意味、僕のものだ!”

ここから彼は対象物を丸ごと自分のなかに取り込んで

愛を惜しみなく注いでいたことが理解できる。

 

“僕は絵画に心と魂を注いだので精神を病んだ。”

このように自分の状態を客観視できる人間が

どうして惨めで無駄なだけの人生を

芸術に溺れることによって送った、などと

言えるであろうか。

 

それら全ての言葉

いかに彼がまっすぐにそして純粋に絵画に向き合って

夢を描き

その夢をこの世に生み出すために、

私たちの心を温かくし、勇気づけ、または慰めたりするために、

全身全霊を費やしてくれた、ということの証であるように思えて来た。

 

ここに惨めさも虚しさもない。

 

魂と繋がって

宇宙の意識をこの地球になんとか届けようとしたゴッホ。

 

だから、私たちはもうおどおどすることはないのだ。

好きなこと、心を奪われたアートに、私たちは思いっきり飛び込めばいい。

地位や成功を獲得できないことを恐れて、魂の声を無視する必要はもうない。

 

あるいは、そういう道をまっしぐらに走っている人、これから走ろうとしている人を、思いっきり応援してゆけばいい、と思った。

 

魂の声を無視する必要はもうない。

 

そう気がついた時、私は自分の魂も解放されたことを感じた。

 

思いっきり好きなことをやって

思いっきり物事に没頭して

思いっきり自分を愛して

思いっきり人を愛して

思いっきりこの与えられた人生を楽しんで

ときには人や状況に思いっきりぶつかって

とにかく思いっきり生きてゆこうと思った。

 

ああ、なんという魂の解放される体験であったことか!

 

 

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