晩春の快晴の日に後に第3代天台座主となられた慈覚大師が承和年
(830年代)に師の最澄ゆかりの地に台密の道場を開かれたと伝わる
浅口市鴨方町六条院中にある古刹の明王院を訪れました。
写真①山門 (額名:大護寺)
写真②山門に続く参道の桜は新芽を出している。
写真③、参道のツツジ
写真④、庭園より本堂と多宝塔(やや左奥)
写真⑤、この寺は、春のツツジと秋のモミジが美しい。
写真⑥、庭園の藤棚
写真⑦、平成15年5月に再建された本堂
写真⑧、寺域の最上部にある多宝塔
写真⑨、本堂の前にある大仙堂、平忠盛建立が起元と伝わる、
中国地蔵尊第6番霊場
写真⑩は本堂の前の丘にある鐘楼
下図は明王院の位置図でJR山陽本線鴨方駅の南約1,000mの所
で明王院の南側の背後は200~300m山波が瀬戸内海に並行して
連なっている。 写真①~⑩
<ご参考>
1) 天台宗真岳山大護寺明王院は、往事は備中一円の天台宗の総本寺
として栄えたが、江戸時代の廃仏毀釈で衰退した。
2)慈覚大師(794~864)
第3代天台座主、最澄に師事し838~847には入唐されている。
各地に多くの寺院を建立されている。
3)白河上皇(1053~1129、在位1072~上皇1086~法皇1096~) は
1096年に最愛の第一皇女・媞子内親王が薨御された時、2日後に
出家され六条の院の御所に内親王のため御堂を建立された。
4)その後、勢力を伸ばした伊勢平氏の平忠盛(1096~1153)は所領
だった当地・浅口郡大島郷(於保志摩郷)を白河法皇に寄進した。
5)法皇は、この荘園を六条院(御堂)に与えられ、以後、備中浅口郡
六条院の地名が生まれた。
6)六条院村はその後、中六条院村、東六条院村、西六条院村、に
分かれて、江戸時代は鴨方池田藩2萬5千石の領地で3ケ村の
石高は合計2,855石だった。 (中1,301石、東611石、西943石)
<参考資料>
明王院由来書、wikipedia 浅口市六条院 & 慈覚大師