備中国こうもり塚古墳/岡山県総社市 | 史跡散策

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プロフィール写真は、備後・福山城

 岡山県内で最大の横穴式石室がある岡山県総社市上林(備中国窪屋郡)のこうもり塚古墳を訪れました。 

  写真⑫は南側(旧山陽道側)より見た古墳の遠景です。 

 

  写真⑬ こうもり塚古墳の後円部 

 

  写真⑭ 参道、奥が石室入口 

  写真⑮ 石室入口 

   こうもり塚古墳 6世紀後半の築造と推定されている。

前方後円墳、墳長100m、後円部径55~60m、葺石、埴輪なし 

岡山県最大の横穴式石室 全長19.4m、玄室奥行7.7m幅3.6m高3.6m

                                               家型石棺、長さ2.4m幅1.4m高1.3m  

    副葬品、単鳳環頭太刀、鉄鏃、ガラス玉、須恵器etcが出土 

  1967-2-15国の史跡に指定される。

       写真⑯石室、奥は玄室入口 

    写真⑰玄室と家型石棺 

この石棺の石材は、ここから西へ約24kmの井原市のあり、加工し易い

浪形岩(貝殻石灰岩)で製作されている。 

 

  下図は、こうもり塚古墳の付近概略図で、備中国分寺跡の東500m

 備中国分尼寺跡の西500m、造山古墳の西4km、作山古墳の東3km 

雪舟生誕地の南西3kmの所にあります。  写真⑫~⑲ 

 

 こうもり塚古墳のすぐ北側に、総社吉備路文化館があり国分寺、吉備路の古墳群そして雪舟生誕600年を記念して雪舟の資料などが展示してありました。 

 写真⑱、その文化館前に明治時代の1902~昭和時代の1968年まで

山手村役場として使用されていたの建物が移設してあります。 

      一重寄棟造り瓦葺 15×10m

 

 写真⑲ 江戸時代末に旧山陽道にあった茶屋と伝わる旧松井家住宅 

で、一重入母屋造り茅葺 10m×6mの建物が移設してある。 

 

 

 <ご参考>

①こうもり塚古墳の埋葬者は、「古事記」に記載されたいる仁徳天皇の 

  寵愛の「黒媛の墓」との伝承があり「黒媛塚」とも言われたそうですが 

  古墳の築造年代が100年離れている。 

②なお、ここから西へ約3kmの旧山陽道脇には、仁徳天皇と黒日売を 

  祀る「御崎神社」(おんさき)神社があります。 

浪形岩、約2,000万年前の海成層で砂や泥の堆積時期に貝やサメの 

  死骸が堆積した石灰岩で、井原市の標高220~260mの丘陵の浪形 

  (地名)に厚さ5~20mで東西3kmに分布している。 

 

④造山古墳、墳長350m、後円部径190m、高さ29m 、

         5世紀前半の築造、 全国第4位の大型古墳 

⑤作山古墳、墳長280m、後円部径160~175mの楕円形 

         5世紀中頃の築造、 全国第10位の大型古墳 

 

 <参考資料>

    現地の説明板

    総社吉備路文化館資料