「みよし風土記の丘」のあと、北へ約2.5kmの三次市東酒屋町松ケ迫に
あり国の遺跡に指定されている「矢谷墳丘墓」を訪れました。
下図は、矢谷墳丘墓の概略平面図と①~⑤は、撮影位置です。
標高230m(比高30m)の丘の上にあります。
1977~1978年に三次市が行った三次工業団地造成事業の事前調査で
発見されて1979年に国の遺跡に指定されている。 上方から見ると前方後方墳のような形だが、四隅突出型墳丘墓に
分類されている。
全長18.5m、幅8~12m、高さ1.2m、四方の斜面には石を貼り付け、周囲
は幅2m、深さ約0.5mの周溝がある。
墳上には11基の埋葬施設が確認され、その中の大きな埋葬施設からは、碧玉・菅玉5ヶ、ガラス玉3ヶ、鉄のヤリガンナ1ヶなどが発見された。
写真②③は、墳丘墓の南側隅の突出部で、突出部は長さ2.5m~3m
幅2mとなっている。
写真④は南東側の斜面の貼石外側の少し凹んで見えるところが、周溝
のようです、ここから後記します特殊器台が発見されている。
写真⑤の背後の白い建物は、これら遺跡発見のキッカケとなった
三次工業団地です。
写真⑥は、「矢谷墳丘墓」から発見され国の重要文化財に指定
されている特殊器台「高さ99.5cm、口径47.5cm」と上に乗っている特殊壺「高さ61.8cm、口径32.7cm」です。
大きさを実感するため、人物比較にノーフラッシュでモデルになってもらいました。 これらは今は「みよし風土記の丘ミュージアム」に提示してありますが、発見当時は写真④の周溝部で小片発見され復元された。
この特殊器台は、直線距離でも東に約100km離れた吉備(備中国、現在の岡山県倉敷市北部)から儀式用として運ばれたと考えられている。
特殊器台の最下部を見ると広がっており、埴輪のように土に埋めるものではなく 地上に置くためとのご説明でした。
確かに、埋める埴輪の裾はストレートになっている。
次の図は、「矢谷墳丘墓」の概略位置図です。
JR三好駅から南東3.5km、みよし風土記の丘の北2.5kmの地点で三次工業団地に囲まれた丘陵(比高30m)にあります。
<ご参考>
①四隅突出型墳丘墓は、吉備の山間部(後の備後国・美作国)で発生
しその後出雲国、伯耆国から北陸地方に伝わったと云われている。
全国で約100基ほど発見されており側面は貼石を置くなど土木技術
が使われており古墳時代の前の墓形と云われている。
②特殊器台と特殊壺は弥生時代後期に吉備地方で生まれ、首長の
埋葬祭祀に使用されたようで古墳時代に入ると衰退したよう。
<参考資料>
現地の説明板、三次市教育委員会・矢谷墳丘墓資料
みよし風土記の丘ガイドブック
みよし風土記の丘ミュージアム館員のご説明より
wikipedia 四隅突出型墳丘墓