棚田百選、奥出雲町大原新田/タタラ製鉄② | 史跡散策

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  タタラ製鉄の主原料の砂鉄を採取する鉄穴流し(かんなながし)した土地に、その後鉄穴流しに使った用水を農業用水として転活用して新田開拓したのが写真①~④の棚田百選に選ばれた島根県仁多郡奥出雲町大原新田(5ha)の現風景です。

 写真①の左奥の山は中国山脈の分水嶺のピークの一つの吾妻山(1239m)です。

 普通棚田と云えば、丘陵地の急斜面に石垣で区分けされた小さな田が段々に構成されているのを思い浮かべますが、ここはあたかも現在の圃場整備が実施された様な一枚の棚田は平均13aと広い面積になっているのが特色です(棚田の標高は約500m)。 この大原新田は、江戸時代後期の文久2年(1862)出雲国松江藩の鉄師の絲原家によって鉄穴流しの跡地に開発された。

 この地は、寛永10年(1633)ごろから絲原家初代がタタラ製鉄を開始してより江戸時代中期(1790ごろ)まで絲原家が絲原記念館のある雨川地区に居を移すまで本拠としていた場所でもあります。 

 現在、この大原新田で栽培されている米は、コシヒカリの品種で仁多米のブランド品で販売され、東の魚沼コシヒカリ、西の仁多米と云われるようになっています。

 南約5kmの後背地には、1,000~1,300mの中国山脈があり水量。水質、地形、土壌そして気候が米生産にマッチしていると云われている。

 

   下図は、棚田百選の大原新田の概略位置です。

   絲原記念館の南約6kmの地点です。

 次の写真は、棚田百選大原新田の標識と説明板です。

 

 <ご参考>

①棚田百選に選ばれているのは5haですが、大原新田のある大馬木地 

  区は大原新田に10倍する以上の美田が広がっている。

 

②明治時代の伯耆国のタタラ製鉄の記録によると、鋼1,000kgを製造する

  ためには、主原料の砂鉄11,500kg木炭12,00kgを必要とし同時に

  銑鉄1,400kgが生産出来たという。  

③砂鉄採取法の鉄穴流しは、江戸時代中期の宝暦年間(1751以降)頃

  より山陰地方で行われるようになった。

④鉄穴流しは、砂鉄を含む岩石を切り崩し水路に流し込み砂鉄と土砂

  の比重差を利用して砂鉄を採取する方法。

 

⑤鉄穴流しは、土砂水が下流側に流れ農作業に悪影響を及ぼすため

 農家と補償契約をするとともに、作業も農閑期に実施していた。

⑥また、大量の木炭を使用するので、森林破壊を避けるために樹木

 伐採の後は植樹をして25~30年サイクルで計画的伐採をしていた。 

 

<参考資料>

現地説明板、糸原絲原資料

Wikipedia タタラ製鉄