四隅突出型墳丘墓/島根県出雲市の西谷墳墓群 | 史跡散策

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プロフィール写真は、備後・福山城

 弥生後期後半、山陰、北陸地方などで造営された方形墳丘墓て゛四隅が「ヒトデ」のような型をした「四隅突出型墳丘墓」がある、島根県出雲市(出雲国西部)西谷を訪れました。

 最初の写真は、復元整備された2号墓(長辺46m、短辺29m、高さ3.5m)を3号墓より見た処です。

2号墓は、内部が見学でき、墳丘は斜面と裾周りは大量の貼石で貼めぐらされている。

 西谷墳墓群は、弥生時代の終わりころ(2世紀後半)から約500年間の墳墓群で6基の四隅突出型墳丘墓の他、中小規模の方墳・円墳約20基と 3ケ所の横穴墓群がある、次の写真②はその内、No1,2,3,4と6号の5基の「ヒトデ型墳丘墓」の配置図です。

 1953年に4号墓の西側で中学生が土器を見つけたのが、この西谷墳墓郡の大発見につながったそうです。 

 次は、2号墓より見る3号墓(長辺52m、短辺42m、高さ4.5m)の外観

 次の写真は、3号墓の上面で棺を埋めた後に墓穴を囲むように巨大な4本の柱跡(写真の朱色のところ)が発見されている。

葬祭用の四阿(あずまや)と推定されている。

 次は西谷墳墓群にある「出雲弥生の森博物館」内の3号墓の縮尺1/10の模型で、埋葬された王の葬送の儀式が人形を配置するなど大変良く再現されていた。 

 3号墓には8つの埋葬跡があり首長(王)とその家族と推定されている。首長と思われるものは、木棺の外側に木槨がある構造で木棺内部は大量の水銀朱が敷かれ、碧玉47ケ、ガラス小玉100以上、コバルトブルーのガラス製勾玉2ケ、鉄剣など発見され、埋土上からは約250ケの土器があった。

 この土器の中には吉備の特殊器台や特殊壺、そして北陸地方のものと思われる土器も発見されている。 写真⑥はその土器類

 次の写真は、その土器を再現したもので、当時はこのような色彩だったのではと!!

 次の写真は、コバルトブルーのガラス製の勾玉で日本最古のガラスの勾玉だそうです。--とても美しかった!! 

次の写真⑨は、西谷墳墓群の東・約500mのところを流れる出雲の大河・斐伊川上流を堤防より見る。

次⑩は下流側を見る、川幅も広く宍道湖へ向かって悠然と流れていた。

 下図は、西谷墳墓群の概略位置図で、出雲大社の東南10km、荒神谷遺跡の西5km、斐伊川の西500mの標高40mの丘陵地です。

 

<ご参考>

①西谷墳墓群は2000年3月、国の史跡に指定されている。

四隅突出型墳丘墓は、古墳時代以前の墓制で、備後三次盆地、

  美作 から出雲・伯耆の山陰地方に広まり後期には北陸地方にも

  造営されて全国で約100基が発見されている。

 

③西谷の四隅突出型墳丘墓は、2世紀後半から3世紀中頃の王墓と 

  推定されている。

④西谷の四隅突出型墳丘墓は、有名な備中の楯築墳丘墓と同時代  

  のもので交流もあっと推定されている。(葬送時に土器持参)

⑤四隅突出型墳丘墓の墓の特徴の四方に突き出た「ヒトデ」の部分は

 墓の上に登るための道が発達したと云われている。

 

<参考資料>

  現地の説明板、出雲弥生の森博物館展示物と説明書

                 〃   〃   館員の方のご説明