出雲国神原神社/島根県雲南市 | 史跡散策

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プロフィール写真は、備後・福山城

 加茂岩倉遺跡から南へ約2kmのところの出雲国大原郡神原郷(島根県雲南市加茂町神原)の出雲風土記に記載されている神原神社を訪れました。 写真①は、神原神社入口の幟です。

 写真②は、鳥居から拝殿をみる。

次の写真③は、拝殿を正面から

写真④は、拝殿と本殿です。

当社は、大国主命、磐筒男命、磐筒女命を祭神として延喜式内社です。

この本殿は、元は写真の左50mの斐伊川の支流の赤川の堤防内にあったが昭和50年(1975)に現在地に移設されたそうです。

 

 下図は、神原神社の位置概略図です。

 昔から神社本殿の下には遺跡があると云われて、神社の移転に当たっては事前調査が行われて古墳(方墳)が発見された。

 現在は、神社の本殿の東約100mのところに移設され神原神社古墳と呼ばれています。

次の写真⑤は移設後の古墳の上屋です。

写真⑥は、上屋の中にある移設後の竪穴式石室です。

    方墳の規模は、南北27~30m 東西 22~26m 高さ6.9m 周溝あり

  石室は、長さ5.75m 幅0.95~1.3m 蓋石がある。

  出土品は、景初3年陳是作鏡などの銘がある三角縁神獣鏡一面

  素環頭太刀一振り、剣、槍、鉄鏃、鉄製農工具など

  築造時期は、四世紀中頃と推定されている。

 次の写真⑦は、赤川の新堤防を東側(赤川上流)からみたところで左の林の中に神原神社本殿が有り、昔の本殿はこのり新堤防の川の中にあった。

 

<ご参考>

1)祭神ま一人の磐筒男命(石筒男命)は伊邪那岐命が十挙の剣で加具土命を斬った時血が神聖な石の群にほとばしりその時に成せる神と古事記に記載されている。

 

2)景初3年の銘のある三角縁神獣鏡は、大阪府黄金塚古墳に次いで

二例目だそうです。

 

3)出雲風土記に「神原郷は昔天下造ラシシ大神(大国主命)が御財を積置れたことから神財郷といっていたが、後に神原郷と云われるようになった」と記載されているそうです。

 

<参考資料>

延喜式内社・神原神社由緒、雲南市教育委員会・神原神社古墳

小学館・古事記