昭和41年10月 東宝ストア 落第祭 | ちくわのくいさし

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京都市在住の元倉吉市民です。いつに間にか大きく変貌してしまった生まれ故郷を、覚えているうちに記録しておきたいおっさんブログ(^^♪

 

 奇跡の昭和な倉吉マイスター読者の1978さんに以前送って頂いた貴重な資料です。

東宝ストア謎のイベント「落第祭り」。こんなチラシが現存していたなんて、県中部におけるスーパーマーケット史の一級資料だと言えるでしょう。

 

 昭和41年10月2、3日に行われた「落第祭」。昭和41年と言えばビートルズの武道館公演が行われ、メートル法が完全施行されて尺貫法などが禁止され、日本の総人口が1億人を超えて高度経済成長期真っただ中で、今では考えられないほど日本が元気だった時代です。
 

 当時ボクは4歳で上灘保育園に通っていた時代ですが、もちろんこのイベントのことは知りません。住まいがあった下田中はもちろん近隣にもスーパーなどはありませんでした。

 

 さてこの「落第祭」、いったいどのような祭りだったんでしょうか。創業4周年で振り返ると出来が良くなかったので、ということらしいのですが世の中がイケイケだった時代、スーパーも出店ラッシュだったと思います。チラシには新町店、上井店の2店しか記載がありませんが、この後にはロータリー店を始めとして店舗数も増えていったので、売り上げが良くなかったということではないと思います。

 

 品揃えとか値段設定、接客、とか東宝ストアの小売業としての理念や目的が果たせなかった達成できなかったということですかね。

 

 さて、落第証書を受け取っているだろうこの女性。ヘアスタイルが素晴らしいですね。昭和40年代頃のテレビや映画に出てくる事務員さんがこんな感じですね。

 

 

 「売り出しではございません。お祭りです。」

 いったい店内では何が行われていたんでしょうか?気になってしょうがない(笑)金魚すくいやら露店やらがいろいろ出ていたんでしょうか?

 

 「1枚10円」

 安いですねえ。でも整理券なんだからタダかと思ったらそうじゃないんですね。記念品は何だったんでしょうか?定番の紅白まんじゅうとかかな。

 

 「5000名様」

 実際の入場者数はどれくらいだったのかわかりませんが、5000人はちょっと多くないですか?倉吉の当時の人口の10分の1ですよ。2日間開催だから1日あたり単純に2500人。一度にそれだけの人が店内に入るのは無理でしょうから(せいぜい2~300人程度が現実的?)、常にお店の周辺には人だかりが出来ていたんでしょうね。

 

 「相済みません」

 今、こんな言い回しはほとんど聞かれなくなりましたね。漢字も初めて見たかも、、、。上井店は2日間の臨時休業。社員総動員のイベントだったんですね。

 

 中電に臨時の駐輪場ということは、祭りの実施店は新町店ということですが、東宝ストア黎明期の新町店、上井店ともに今では無くなってしまったというのは寂しいことです。