Guten Tag | 昼下がりのビンカミノール

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新コロナ禍で自粛生活のつれづれに、思いつくままブログに書いています。
友人たちも時々投稿して楽しんでくれています。
観点が異なるので、多重人格と思われるかもしれませんが、
大丈夫です。
安心してください。

   Guten Tag

 

 ドイツ語を学び始めたころ、Ich habe Hunger(おなかすいた) と並んで最初に覚えたのは

  Guten Morgen(おはよう)

  Guten Tag(こんにちは)

 

 昔、登山に使われる単語はドイツ語であることが多かったように思います。

 アルピニズムが主にドイツから紹介されたことによるのではないかと思っています。

 山仲間の間では片言のドイツ語が飛び交っていましたし、山で歌う歌にもドイツ語の歌が幾つかありました。

 

  雪山などで同行者とザイルで繋がることを意味するアンザイレン(Anseilen)、岩登りに使う細い小さなロープの輪をシュリンゲン(Shlingen)と言ったり、メモすることをシュライベン(Schreiben)などと言っていました。

 これは一般的ではなくて、私が所属していた山岳部だけのことだと思うのですが、小便のことを小さいを意味するクライン(Klein)、大便を大きいを意味するグロース(Groβ)と言っていました。

 

 雪山では外の冷気が入ってくるのを嫌い、また危険でもあるので、テントを出入りするのは最小限にするようにしていました。

 除雪や生理現象のため出入りするのが唯一でありましたが、その時も危険防止のため何のために出入りするのか、テントの中の仲間に言ってから出入りする必要がありました。

 「○○はクラインのために出ます」とか「△△はグロ―スに行ってきます」といった具合です。

  今思えば女性にはつらいことかもしれません。幸い同行者に女性はいなかったですが。

 

 ドイツを仕事で訪れた時、ドイツ人のきっちりした考え方や仕事ぶりに教えられたことは多かったです。

 日本人と気質が非常に似通っており、質実剛健を尊んでいると感じました。

 食事も基本質素です。

 ザワークラフト、温野菜とパンとスープが夕食の基本。

 レストランでステーキを食べた時は、ドイツ人の方はステーキを食べ終った後パンをちぎって、それで残ったソースをきれいに拭きとって食べる。食事が終わった時は、全ての食器はパンで拭き上げられていました。

 当時、アメリカ的消費文化、使い捨て文化に毒されていた身にとって、非常に新鮮で感動的ですらありました。

 

 西宮市にある甲山森林公園を散策がてら通り抜けるとピクニックロードに出ます。

 

 

   (森林公園のモニュメント 後ろは甲山)

 

 そこを右に曲がり10分ほど下って行くと、右手の林のなかに古ぼけた洋館が見えます。

 

 

 

  入口にはGuten Tag”と書かれています。

 こんなところにドイツ語?といった感じです。

 

  

 

 

 

    (奥にGuten Tagの建物が見える)

 

 若いころ、学生の街ハイデルベルクを訪れたことがありました。その街のレストランに数枚の水彩画が飾られていました。

 そのうちの一枚が気に入り、聞けばこの街に住む若い画家が描いたもので購入もできるとのこと。

 その絵は当時のドイツの雰囲気をよく表しており、オーナーにお願いして譲ってもらったことがありました。

 今でも大事に飾っていますが、その絵を見ると当時のことを思い出します。

 ”Guten Tag”は、その絵画に似た雰囲気を醸し出していました。

 

 

 

 ドイツ語の名前に惹かれ思わず石の階段に足を踏み入れていました。

 石の階段を下り入口と思しきところを入ると、山小屋風のカフェになっていました。

 カフェの横を小川が流れています。

 多分、仁川に注いでいるのだと思います。

 

 

  (カフェから降りた河原にミモザの花が咲いていました)

 

 流れの水は澄んでいて、メジロなどが時々飛び交っていました。

 カフェから芒が茂るその河原に下りる道があり、野鳥観察をする人が歩いたり佇んだりしているのが窓越しに見えました。

 

 

  (木の枝にはメジロが何羽か留まっていましたが、写っているでしょうか?)

 

  

 

 店内には暖炉が燃えており、野鳥の写真や本が飾られており自然を感じて静かな時を過ごせるようになっています。

    

  

 

 年配のご夫婦でされています。

 コーヒーを運んでこられた時に店名の由来を尋ねましたが、「皆さんに聞かれるのですが、ドイツに住んだこともなく、特段の理由はないんですよ」と微笑んでおられました。

 

 でも、短時間では説明できない由来があるのかもしれません。

 そんな風に感じさせる素敵な空間でした。