雪山讃歌 | 昼下がりのビンカミノール

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新コロナ禍で自粛生活のつれづれに、思いつくままブログに書いています。
友人たちも時々投稿して楽しんでくれています。
観点が異なるので、多重人格と思われるかもしれませんが、
大丈夫です。
安心してください。

 寒い日が続きますね。

 

 オミクロン株が幅を利かせ、我々人類は戦々恐々と自粛生活を続けています。

 

 思うように活動が出来ず、「昔は良かったなあ」と思わず懐古の思いにふけるのも、時には許していただきたい。

 

 テレビでは冬の日本アルプスの映像が流れています。

 

 

 

 学生時代、冬休みを待ちかねたように雪山に登った。

 

 正月はいつもテントの中で迎えた。

 

 雪山では夜明けとともに歩き出し、午後の3時ごろには行動を終えテントを張る作業に入った。

 そして、雪を溶かして夕食の準備をする。冷え切った身体をラジュースの炎で温め、一日で一番ほっとする楽しい時間だ。

 

 そんな時、誰ともなく歌い始め、その内皆で次々と色んな歌を歌うのだが、その中に雪山讃歌が必ず入っていた。

 

 雪よ、岩よ、我らが宿り、俺たちゃ町には住めないからに……

 

と言った歌詞です。

 

 曲はアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」で、詞のほうは第一次南極越冬隊長を務めた西堀栄三郎氏が、友人たちと吹雪に閉じ込められた宿で思いつくまま作詞したようです。

 

 ダークダックスやデュークエイセス(古いですね(-_-;))が歌って一般の人に広まりました。

 

 この雪山讃歌がK大山岳部の部歌の一つだと知る人は少ないでしょう。

 

 暇さえあれば山に登っている身では彼女なんか出来る訳ない

 

と言った自嘲と

 

 女性なんか相手にせず(失礼!)命がけで山に登っているんだ

 

という粋がりが当時の私達にはあったように思います。

 

 そのくせ私たちの多くは付き合っていた人がいたのだから不思議なものです。

 どのように整合性を取っていたのか、今はもう思い出せません。