仕事でも、遊びでも、楽しんでいる時はアドレナリンが出まくって生きている心地がする。
それはもう言い表せないくらい楽しくて仕方がない。
ただし、それは自らが「やりたい!!」と自発的になっている時。
実は簡単にへし折れるほど脆く、太いようで細いモノで、何かの衝撃(例えば、心配、ストレス、不安、先読みしすぎての追い込み、ストレス)によってイトも簡単に壊れてしまうモノであったりする。
そうなってくると「やらなきゃいけない。しなきゃいけない。」という第3者からの要求、重い腰を上げての行動になってしまい、楽しんでいても楽しんでいるつもりで終わってしまう。
その第3者、所謂もう一人の自分とどう向き合うか。
それは、素の自分の最終形態はどう在りたいか。という夢や目標という明確なフラッグをきちんと立て、はっきりと見えるようにしておかなければならないと、最近学んだ。
その道のりには、何本もの通過点なるフラッグを立て、順々にクリアしていく。
それさえしっかりとしておけば、もう一人の自分へも説明することができて、段々と辛さが楽しさへ、ワクワク感へと変貌していく。
こと、自分に置き換えれば、書の道である。
果てしなく長い旅に出て早25年。
未だにオレ流が掴めず、毎日のようにもがいているが、そのお宝を探すために様々なボスキャラ達(臨書:古典の書の模倣をすることでテクニックを研究し筆法を学ぶ)と向き合っている。
ただ、自分を認めるとすれば、昨年よりも上達しているという自信がある。
もう一つ。自信からの過信が10年前の自分と比べて出てこなくなった。自信が結果だと学んだからだろうか、自信がつけば新たな不安と挑戦が待っていることを体感しているからか。
とにかく、毎日高い存在を見ては、自分に対して悔しくなる。
だから、やるっきゃないのだ。
良く自分の夢を話す。
口にすればするほど、自分への約束と変わる。
それが自分のフラッグである。
起業、ブランド化への取り組み、ボランティア活動、そして日々の古典臨書の練習。
確実に歩んでいる。
日の当たらない場所で懸命に生きている子供たちに書を教える。
彼、彼女たちから見れば外国のカルチャーを学ぶことは皆無であり、初めての体験だろう。
それをし、生きてるって楽しい!!外国のカルチャーって面白い!!と心から感じてほしい。
その壮大なプロジェクトが、自分の目指すフラッグなのである。
無惨な出来事。
悔しくてたまらない。何もできず、守れず。そう思うと何も出来なかった自分が情けなくなる。
犯人を責めることは誰でもできる。では、犯人を止めることは出来ただろうか?
なぜ、なぜ!!?ちくしょう!!と感じ、自分に無念さが残る。
殺意や殺傷からは何も生まれない。
我々の普段の言動や行動を見直さなくてはならないのではないか。
では今、自分が出来ることは何だろうか?
相互理解を、尊重を、現代に言霊として表現して、心の中に思いやりの灯を点けられる行動をしたい。
障がい者の方々だって我々と同じ人間であり、大切な存在。
はっきり申し上げるが、私は尊敬している。
あんなに個性豊かで才能にあふれている存在はスゴイと思う。
それは、私の身内にも居るからで、彼は思いやりがあって素直。思いやりの心がハンパないのだと思う。見習わなくてはならないと日々思い、自分を問い正す。
ふと、立ち止まって周りを見たら、様々な状況が見えてきて、そしてまた新たなフラッグを立て、より熱く生きることができそうだ。