私は2013年に書藝家となった。
今は書家に直したが、何が違うかはまた今度。

我が師、下田翠雨より「竹翠」を拝号し、それからである。
「人が喜んでくれるから」という理由で自分の取り柄を活かしてやって行こうと思って始めた。

きっかけは1人の医師との出会い。
当時、私が勤めていたホテルの玄関に奉仕目的で書いた大作を買ってくれたことから。
その後、今は国会議員になられた方からもオーダーをいただき、好スタートだった。名刺も作った。
とにかく、自分を売り込もうと楽しんだ。
先の事も考えずに。

しかし、そんなビギナーズラックな出来事はすぐに終わってしまう。同時に、芸術家としての苦悩の始まりでもあった。

金額の付け方がわからない。
周囲の理解が得られない。
まずは、この二つから始まった。

理解が得られない理由は「本来の仕事と書道の仕事を掛け持ちなんて有り得ない。」
ごもっともな主張である。

金額の付け方も自分の価値がわからないから、所謂「どんぶり勘定」であった。
それもそのはず。
要は実績が無いから。

闇の中を手探りとは、こういうことである。

とにかく、この頃はまだ自分の中で作り上げた夢物語の中で右往左往しながら「好き」だけの感情で進んでいた。

この先に、東京で「本物」と出会い、自分の力の無さを知り、どん底を知り、もう一方では、家庭生活が上手くいかずに、筆を捨てる瀬戸際まで追い込まれることになるとは、この時はまだ知らない。