それにしても対馬は素晴らしい、日本の原型がここにある!

みなさま、こんにちは。『筑紫るみ子』事務局です。

今回の筑紫るみ子議員からのレポートは、`国防研修の旅・壱岐対馬元窓編」です。
日本より、むしろ朝鮮の方が距離的に近い対馬民の心が、この頃既に`日本人」としてモ
ンゴル軍を迎え撃った事、そして特筆すべきは、恐らく自分たちだけのためでなく、日本
のために戦ったのではないかという事。この頃の島民の皆さんの心を、

今に伝えていく事
も私たちの責任かも知れません。

国防という観点から非常に重要な場所、「対馬」について、どれだけの日本人が知っていることでしょう?

悲しいことに、それが日本の歴史教育の現実なのです。

|国防の最前線『対馬』

国境の島、対馬は、いつの時代も国防の最前線としての役目を果たしてきました。

肪人が築いた古代山城`金田城」
豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えた山城`清水山城」


|アンゴルモア元窓合戦記

『アンゴルモア元窓合戦記』の基本設定でもある“元窓““蒙古襲来“について、以下のように

書かれているので一部紹介します。
時代背暫は日本の鎌倉時代中期。当時のモンゴルー中国大陸を支配していた元朝(モンゴ
ル帝国)が、その属国だった高麗(朝鮮)軍とともに、日本への侵攻を開始。二度にわた
る大規模侵攻作戦は“文永の役“(①②⑦④年)“弘安の役“(①②⑧①年)と呼ばれ、いずれも
主戦場は博多湾(現在の福岡市近郊)だった。
以上が歴史の教科書に記される概要だが、実は元・高麗連合軍が日本本士へ到達する前、
対馬・壱岐でも戦闘が行われていたことは、あまり知られていない。
本作に描かれる元朝の第一次日本侵攻計画(文永の役)では、元・高麗里の先遣部隊が対
馬に上陸。現地守護代・宗資国が率いる軍勢と戦闘状態になり、日本側は奮戦したもの圧
倖的な戦力差で壊滅した…...という史実がある。


これも、`教えない理由には意図があるから」ということがよくわかる一例かと思います。

筑紫るみ子さん、いつも貴重な`学べる情報」をありがとうございます!
そして、本記事が少しでもみなさまに目を通していただければ幸いです。