千秋楽がおわって
やさしく照るたいよう
なんや神々しかったです。
とにもかくにも、京都公演 無事に終わりました。無事に終わって本当によかった。
今はもう東京に帰って2日たちました。
何かとありますが、あそこがホントに京都だったのか、ここが本当に東京なのかあんまりピンときていない感じで、。ちょっとまだ靄がかかってます。
まあ やったんだから、どっちでもいーんだけどね。
京都はちょうど祇園祭りの真っ最中、
どこらかともなく祭り囃子が聴こえてました。
東京にはあんなのないね、一転 モノトーンシティー、
ただ、京都より絶対涼しいはず、そこだけは期待しているぞ
と 思って帰京してみたら、、東京も死ぬほど暑かった。
俺がもしアイスだったら即死だ。
行く時は元気が有り余っていたのか、新幹線の中の 大貧民 の様子まで、事細かにレポートしておりましたが、
京都の暑さにやられたのか、追い立てるスケジュールがそれを許さなかったのか、2日目あたりから写真もまるっと撮らなくなっちゃって、
案の定ジェットストリームアタックのように終わったけども、それもやっぱり楽しかったんだね、きっと。
今回は、個人的な事情も色々重なって、京都に来てからちょっと気が落ち着かなかったんですね、 何となく心がゆれたりして
そんな中、公演が始まり、
終演後、 芸術センターの入口から続く石畳に出てゆく度、
毎日 色んなお客さまが、もう色んな顔で話しかけてきて下さいましてね、
嬉しそうな顔、興奮した顔、すっきりした顔、ニヤニヤした顔や、神妙な顔、
言葉は様々でしたけど、
口々に何かを語りかけながら帰っていくその感じが、何だか妙に嬉しくて、いつもより誇らしげに感じたりして、
今ここで 芝居をやってていいのよ、と その都度 励ましてもらっているような、
この場所で、この芝居をやった事で、誰かの心の潤いや、ストレス解消や、きっかけや、活力の一端になっているのやも、、 なんてね
我々は一年の大半を稽古場やスタジオですごします。
だから、お客さまにお会いできるのは、何ヶ月かに一度。
そこで、我々はお客さまと何かの交換をするんですよ。
若い時分、イケイケの頃は、自分の芝居の出来ばかり考えていたのでしょうか…
そんなこと微塵も感じませんでしたけどね (~_~;)
段々、芝居をしている行為が、当たり前でない風体になってくると
そーゆう意味を、お客さまの顔や姿から見出したくなるのかな、
家族や人生やお金と秤にかけ、その重さを測ろうとするのですね。
今回の芝居の中で、60代くらいの女性が大泣きして舞台を見つめてらしたと、そういう感想をツイッターでみました。
これまで生きてきた背景も、普段考えてる事もきっと違うはずなのに、
その瞬間はわれわれ心が同一になれたみたいで、嬉しかった。
仮に、田舎で横になっている母はそれを見れませんが、
代わりにその方に観ていただきました。
それは、ある意味で母がみているのと同じだとも思います。
都合のよい考えみたいだけど、僕にとってそれは同じ。きっと母だって同じ気持ちで観てくれたでしょう。
多分、それが僕らのいきるみち、そう 気取ってみるくらいが丁度いいんでないでしょうか。
やり残したことがまだまだあるからね、まだまだやるよ。
東京にいて、そして待ってます。
kubokan