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箱庭円舞曲 

「否定されたくてする質問」



いよいよチケット発売となりました。



くぼかん扱いのご予約が、コチラから簡単にできます。(チケットは当日受付精算となります。)

[久保貫太郎扱い 予約フォーム]




◆場所

下北沢 駅前劇場

小田急線・京王井の頭線 下北沢駅 南口 徒歩0分




◆チケット
前売:¥3,300 当日:¥3,800
★初日割引 前売:¥2,800 当日:¥3,300
(整理番号付き自由席)


◆日程

11/1(木)★19:30(初日割引)
11/2(金)19:30
11/3(土)14:00、19:00
11/4(日)14:00
11/5(月)19:30
11/6(火)休演日
11/7(水)19:30
11/8(木)14:00、19:30
11/9(金)19:30
11/10(土)14:00、19:00
11/11(日)17:00




【いまのところ、こちらの売れ行きがよろしいようです。】

お早目にどうぞ


・11/1(木) 19:30(初日割引)
・11/4(日) 14:00
・11/10(土) 19:00




■Introduction
そんなことないよ。って言われたいんでしょ?



会話があるところには、そのきっかけとなる質問が必ずある。
会話というコミュニケーションのためには質問は必須で、
質問のないところには会話は発生しない。



中でも、否定されたくてする質問が嫌いだった。
「そんなことないよ」と言って欲しがる人が苦手だった。
初演の頃は、「今私がやってることに意味なんてなくない?」なんて聞かれたら、
「ないよね。やめちゃえば?」と、その不安に同意することで、相手を否定していた。
くよくよする奴が嫌いだったのだ。
自分で考えて自分で決めろや、と感じていた。
結論を他人に委ねる生き方が嫌いだった。
期待通りの言葉を貰って、承認されたつもりになっている浅はかさが嫌だった。
若気が至りまくっていた。



『自分に正直な僕は、「私って最悪の女だと思わない?」なんて訊いてくる女には、
 こう言って差し上げるのです。「その通りだね」と』
当時のチラシに、そんなことを書いていた。
本心を隠して相手に合わせることなんて本当の優しさではないと思っていた。
相手の今後の人生において、ためにならないと思うゆえの気遣いだった。
だが、そんな気遣いは、気遣いだとは気付かれなかった。
ただ嫌われて終わった。



あれから七年が経つ。当時劇団員だった人間はもう居ない。
演劇を辞めた人、別の場所で続けている人、実家に帰った人、連絡がつかない人。
色んな人と出会い色んな人と別れてきた。出来るだけ正直に生きてきたつもりだし、
それで去っていった人もたくさんいるけど、より近付いた人がたくさんいる。



今は、「今私がやってることに意味なんてなくない?」と聞かれたら、
「あるでしょ。なきゃやってないでしょ良い年こいて」と不安を否定し、相手を肯定するようになった。
年を取ったからか、日和見になってきたのか。
あるいは、自分自身も不安を否定して欲しいからだろうか。
弱い人間になったものだと思う。


どうあれ、否定されたくてする質問とは、否定的な言葉によって自分を肯定されようという、
何とも卑屈なコミュニケーション手法なのである。やっぱり苦手だ。苦手なのだが最近は、
そんな質問をしてしまう人が可愛くも見えてきた。どうしてだろう。
何なんだろう、この、苛立たしい人に興味を惹かれるというのは。嫌いだけど好き、みたいな感覚は。



相手の反応などお構いなしに、個人が情報と感情を一方的に発信し垂れ流し続けるという狂気の沙汰。
そんな一億総表現者時代に突入した現代社会では、
そういった当たり前のコミュニケーションが、どこかへうっちゃられてしまっているように思える。
否定されたくてする質問をしてしまうような人にも、どこかで懐かしさを感じているのかもしれない。
面と向かって話すのが当たり前だったあの頃、些細なことに腹を立てていたあの頃、
馬鹿みたいだと思いつつも心から楽しんでいたあの頃。


ねえ。昔より今の方が、良い時代になってるんですよね?



漫画原作者と作画者、編集者の日常と葛藤をベースに、この現代に生きる、
働く、創るといったことについて、シビアに、しかし可笑しく描き出す。
劇団史上初、本公演の再演。初演は2005年12月の第六楽章。
「今」の時代の空気と新キャストに合わせて全面改稿した、ほぼ新作公演。
第十九楽章『否定されたくてする質問』






Kubokan