大和屋さんという名前だったと思います(勤務先に入っていた文房具屋さんの名前も大和屋だったので,混同しているかもしれません)。通称「紙店」でした。いろいろな紙が取り揃えられていました。実際には万年堂さんとおなじ文房具屋さんで,紙に重点を置いていたのか,昔は紙だけ扱う店が必要だったのかも知れません。引用したGoogle Streetの画像の右側辺りにあったと思います。

 

 万年堂さんは文房具屋さんです。昭和30年代,小学生だった頃,こちらのお嬢さんが同級生でした。小学生の私は,万年筆を売っているから万年堂というのだと思っていました。いろいろ必要な文房具はこのお店で買いました。記憶に残っているのは,鉛筆を1ダース買うと漢字の金文字で氏名を入れてくれたことです。他の同級生が,「その鉛筆欲しい」とねだったことを思い出します。

 

 きらく屋さんと並んでユニークな名前の安楽屋さんがありました。私はほとんど入ったことがありませんが,きらく屋さんと同じように野菜などを売っていた店だったと思います。Google Streetの画像の右側辺りにあったと思います。

 

 市町,本町,旧国道18号の交差点から斜めに入ったすぐの所に野菜を主に扱っているお店がありました。八百屋さんと言うよりいろいろなものを売っていてスーパーのようで繁盛していました。当時,小諸にはスーパー形式のお店がありませんでした。スーパー方式を採用していたら今も存在していたかもしれません。残念です。ちなみに名前が気楽とはユニークです。本町に同様にユニークな名前のお店がありました。安楽屋という名前でやはり気楽な感じの店名でした。

 

 写真屋さんはもう一軒記憶にあります。光画堂さんです。父は店主さんと仲が良かったようで時々DPEを依頼していました。Google Streetで同じ位置を見てみると,写真屋さんの店名が「ひろせ」となっています。光画堂さんの店主の名前も広瀬さんだったように記憶しています。昔から両方の店名を使っていたような気もします。

 

 写真屋さんの話題を続けます。小学校の同級生には写真屋さんの子供が2人いました。一人は先のテーマの小林写真館です。もう一人は丸山写真館です。小学校の集合写真では,先生方が気をつかったようでこの二つの写真館に交互にお願いしていました。丸山君は頭が良かったです。「家で大きな円を描いて長さを測り円周率を求めよう」と言って誘われたことがあります。

 

 昭和30年代後半,確か黒柳徹子が題名のような唄を歌って,撮影技術による一人二役の番組があったと思います。それに刺激されて一人二役の写真を撮ることに凝っていました。中学生の頃でした。カメラレンズの半分をマッチ箱で隠し,開いている側に立って撮影し,フィルムを巻かずに反対側を同様に隠し,そちら側に同じ人が移動して重ね撮りするのです。父の持っていたブロニー判(6cm×6cm)のカメラを使いました。古いカメラなので,フィルムはその都度自分で巻くのです。カメラの後ろには小さな丸形でオレンジ色の窓が開いていて,フィルムの後ろの裏紙にコマの間隔ごと振られた数字見えるのです。撮った後数字を一つ進めるのです。これを行わずに重ね撮りができました。下に示すように6×6判ですので,画面は正方形です。

 

 父は写真の現像や焼き付けの技術を持っていましたが,仕事が忙しいので写真屋さんにお願いしていました。よくお願いしたのが大手町の小林写真館です。小学校の同級生の家です。数年前に訪れたら,彼がお店をやっていました。


 

 昔は四谷交差点が小諸から軽井沢方面に行くか佐久方面に行くかの主要な分岐点でした。佐久方面に行くと,三岡駅の近くを通り,小諸教習所もありました。この道はGoogle Mapによると借宿小諸線と呼ぶらしいです。大学時代帰省した時家の車を借りて佐久方面に行く途中でした。この交差点に入ったとたん,エンジンが止まってしまいました。ガス欠でした。親の車なのでガソリンがどのくらい入っているかなんて考えていなかったためだと思います。

 

 小諸バイパス(国道18号)沿いに実家がありました。その近くにコンクリート製の四角い桝がありました。道路の両側にあるのです。「サイフォン」と呼んでいました。バイパス道路工事で掘割にすると,農業水路が寸断されてしまいます。そこで,道路の下に水を通すことになりますが,道路の反対側でも水面が低くなっては困ります。そこで,サイフォンが設置されたわけです。これは中学の理科を思い出します。理科で連通管というのを習いました。円筒形や三角錐型のガラス容器が並んでいて下側がつながっています。これによりどの容器の水面の高さも同じになります。道路の両側の桝の下側が道路の下を通ってつながっているため,道路の先の桝の水面も,道路の手前の桝の水面と同じになるという仕組みです。

 今Google Streetで見ると,実家近くの桝はなくなっていました。その代わり道路の上を通る水管が見つかりました。もしかしたら,そちらに切り替わったのかも知れません。下の画像は,小諸バイパスの他の場所に見つかったサイフォンです。

 

 祖母の甘酒はおいしかったです。一升瓶をこたつに入れて発酵させていました。甘酒は温度管理が大事です。温度管理がうまくいかないと酸っぱくなります。家でもやりましたが,祖母のものが最高でした。ごはん,麹,水を混ぜて一定温度で発酵させるのです。祖母の家の近くに米麹を売っている店があり,ここに買いに行ったことを覚えています。関東に出てから酒粕を使った甘酒を知りましたが,私には別物に思えます。