今日は長崎の原爆の日。

アリ刺繍レッスンが中止になったので、午前中は自宅で過ごし、部活を終えて帰ってきた息子とテレビで式典を観ながら黙祷をしました。


夕方、三宅一生さんの訃報が。

原爆の日の前日に亡くなられたそう。

高校の大先輩です。


被爆者でありながら、それを公にはせずに過ごされていた三宅さん。

三宅さんだけではなく、多くの被爆者の方々は、あまり語ることなく過ごされているのだと思います。


就職して、最初の上司は被爆者でした。

手帳を見るのも嫌だと、原爆(被爆者)手帳も申請されていませんでした。

自分だけが生き残ってしまった葛藤。

いつ原爆症が発症するかわからない恐怖。

そして、差別。

そんな目に見えないものとずっと戦いながら過ごされているのだなと。

私たちにとっては戦後でも、被爆者にとっては終わっていないんだなと初めて知ったのでした。


三宅さんのように、長い年月を経てようやく語ることが出来るのは、今、平和であるからこそなんだとこそ。

そして、この平和を繋いでいかなければいけない使命感。


三宅一生さんが被爆体験を語られました


一人、またひとりと、被爆者が亡くなり、体験を語られる方が減っていくなかで、各々の心の中にしっかりと二度と戦争はしない。

そして核兵器根絶の意志を繋いでいかなければ、いつか同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。


こうやって発信し続けることも、広島に関わるものの務めだな、そう思ってます。