今日は夫が出張から帰って来るし、しばらく家から出ていなかったので、お天気も良いことだし歩いて買い物に行きました


今朝も体調スッキリはしていなかったので、歩きながら少しフワフワ驚きあせる(貧血ではない)


大丈夫か滝汗あせる


と何度か思いましたが、


大丈夫!

大丈夫!

絶対に大丈夫!


と、自分に暗示をかけて


無事に買い物して帰って来れたーーーアップアップアップアップアップ


ただ、買い物に行って帰って来ただけなのに凄く嬉しくて達成感ニコニコ


家に着いて直ぐに、頑張ってくれた自分の身体をいっぱい誉めて感謝しましたおねがい


神棚様(?)にも無事に行って帰って来れたことの感謝をお伝えしました!


体調不良に悩まされるようになってから、毎日寝る前にお布団の中で


今日も1日頑張ってくれて、本当にありがとう照れ


と自分の身体に感謝するようになりました。


ヤベー奴滝汗


と思った人!!


ヤベー奴上等!

ヤベー奴で良いです!


はい指差し



この数日間、1人で出かけようにも体調悪くて倒れたりしたらと思うと怖くて外出しませんでした。


今日は少〜し体調良さげだったので、頑張って出かけてみよう!と思いました。


本当にやばそうだったら無理せず立ち止まって座ったり、少し休んでから途中で家に引き返そう。

バスを使うことも考えよう。


そう思っていましたが、無事に自分の足で歩いて行って、歩いて帰って来れましたにっこり


たったこれだけのことなのに、本当に嬉しくて

それが出来た自分の身体に感謝しましたおねがい


当たり前に出来ていたことが出来なくなったとき、また出来るようになるのだろうか?

そんな不安が過ることありませんか?

私はこの事について凄く考えてしまいます。


ここから少し重たい話になりますが、


多分、母が闘病中に


『何にも出来なくなっちゃった....』


と悲しそうに呟いた姿が忘れられないから。


病状が悪化していく中で、痩せ細った自分の腕をまじまじ見つめていた母


もう病気が良くなることはないと悟っていただろうから、自分で出来る事が1つ、また1つと出来なくなっていって、どんなに辛くて怖かっただろうと思うと.....


食事もあまり食べれなくなったことを気にしていた母に

「◯◯はこんなに食べれたじゃん!スゴイ!」

って、言ってあげながら私も悲しかった。


もう、母が以前のように明るく元気に私の名前を呼んでくれることはないのか....


とか、今まで出来ていたことが出来なくなっていく母を見るのは私も凄く悲しくて辛かった


自分で出来ることが少なくなっていくことを悲しんでいる母を見ているのも辛かった


なのに、最後の方はストレスからイライラしてばかりで、病気の母に辛くあたってしまったり、キツいことを言ってしまって私は最低で全然良い娘ではなくてごめんね。って今でも申し訳なくてやりきれない気持ちになります。


少し話が変わりますが、

今まで何度も成人の日に新成人の方の晴れ着姿を見ても特に何も思いませんでした。

でも、今年は何故か初めて

私の成人のときにも、

私のために振り袖一式揃えてくれて、美容室も写真館も予約してくれたお母さんありがとう!

お母さんのおかげて、私もみんなと一緒に振り袖を着て人並みに成人式に行くことが出来てたんだね!

本当にありがとう!!


と思いました。

今更、この歳になってやっと....


家は母子家庭だったし、私が私立高校に行ったり、県外の専門学校に行ったりで家計はすごく大変だったはず....。

なのに、素敵な振り袖一式用意してくれた母。

それがどれだけ大変で有難くて幸せなことだったかをこの歳になってやっと気づきました。

今は、どうしてその事に今まで気づかず生きてきたのだろう?と思います。


そうやって、この先もいろいろなことに気づきながら生きていくんだろうな...


生きていると、苦しいことも悲しいことも辛くて逃げ出したいこと等いろいろある....


でも、気づいてないだけで、幸せなとこや有難いと思えることって、実は日常にいくつもあるのかも照れ

気づいてないだけで....


どんなに小さなことだったとしても、1日の終わりに何か1つでも感謝できることがあるなら、それはとても幸せなのかもクローバー


文才無いので、全くまとまりのない文をダラダラ書いてしまいましたが、最後まで読んで下さった皆様、

ありがとう照れ