子どもを養う者なら皆が考えることだろう。うちの子の教育どうしようかと。二人の養い子を抱えるシュトリも当然ながらそのことに頭を悩ませていた。今日も今日とて、頭を悩ませ、仕事の昼休みを過ごしていた。鶏を挟んだパンをもそもそとかじる。
一年ほど前、二人目の子どもを扶養に入れた。異国人の、どうも重度の記憶障害のある子どもだった。文化圏に無かっただろう箸はわかるが、フォークやスプーン、皿を見て首を傾げるほどだった。紺とはっきりした色の名前をつけた子供は、なにか心に痛手を負ったのか、アルと同じようにしゃべらない。歳を尋ねるとと両手で9歳だと主張し、初等学校に行かなくてはならない歳だったが、今は見守ろうと医師が診断を下した。入学はしばらく見送ることになったのだ。
それが1年経たないうちにめきめきと知識を増やした。言葉も理解してしゃべるようになった。シュトリが仕事の間預けている村の古本屋のじいさんから読み書きを習い、古本屋の本を読み、村医者から算数を習った。ににんがし、にさんがろく、と歌うようにかけ算を唱えることはとっくに終えて、その応用に手を出している。この時点で初等科の2年は確実に終えた頭を持っていることになり、恥ずかしながらもうシュトリより頭がいいだろう。シュトリは10歳までしか学校に通っていない。
古本屋のじいさんは元は大学教授という高名な職に就いていた。村医者の先生は当然のことながら立派な頭脳を持つ。その二人がこう言うのだ。この子は村の学校なんてもったいない。都会へ出ていい教育を受けさせるべきだと。
そんなこと言われても、と困ったのは親の方である。頭が良いのはわかる。家で医者からもらった算数の教科書を開いて鼻歌交じりで問題を解いた。本の虫で、シュトリが図書館から借りてきた本まで読みつくし、もっと読みたいとねだるのだ。最近はよくわからない収集癖に目覚めた。イネ科の植物を収集し始めたのだ。子ども用の図鑑では足らなくなったために、特別に最新の植物図鑑を買ってやると目をきらきらさせて喜んだ。植物採集にも熱が入った。もはや失った記憶の補完の域を超えている。学者肌ですね、と元教授は喜んだ。このじいさんも収集癖はかなりのものだ。おそらく紺に影響を与えている。
高い教育が受けられる都会の学校に行かせてやりたいのはやまやまであるが、先立つものがあるかどうか、ということが問題だった。シュトリは週に4日働き、夕方の鐘が鳴る前に仕事終える。家庭のある奥様方が好む働き方であったが、当然のことながら賃金は安い。シュトリは体調に不安を抱えるため、これ以上は仕事は無理だと感じていた。村にいれば自給自足ができる、都会に行くとなればなんでも買わなければならない。学校の授業料も馬鹿にならない。家計から考えて無理だというと、古本屋のじいさんはあっさりと
「私たちが援助しましょう。学校の授業料と野菜は私たちが出します」
紺を膝に抱えたばあさんも頷いた。
「制服や服も心配いらん。仕立てちゃる」
ばあさんは拝み屋でもあるが、仕立て屋から請け負って服の直しの内職もやっていた。服も作れる。
子どもがいないらしい老夫婦は、シュトリが引き取った養い子を孫のように思っている。しかしさすがにそこまで頼れない、いいや出すと押し問答しているところに医者と村役場の役人がやってきた。道でちょうど会ったらしい。
医者は満面の笑みだ。
「おーい。村の推薦枠取れたぞ」
「す、推薦枠?」
「村から都会の学校に行ける推薦枠。いつでも入れるぞー」
「なんでそんなことに」
「紺に学校の定期試験受けさせてただろ。それの成績良くってさー。特に算数、理科」
用意していた言い訳、「そもそもそう簡単に転入できるわけがない」がつぶれた。紺が登校できないかわりに、家庭で勉強させろと村役場から指導を受けていた。勉強ができるようになってから、学校で定期的に試験を受けさせられていたのだ。子どもに教育を受けさせることは義務だった。
役人が紺の成績表を出す。5段階評価ですべて5……とはいかないが、確かに算数、理科は5だ。「特に秀でており、学年以上の理解を持っている」と評価が書いてあった。文系科目も4、古典だけは2だった。バリバリ理系の医者、物理学教授を相手に勉強をしていたのだ、文系は手薄になる。紺も古典にはまったく興味がないらしい。教育係だという役人はぜひわが村から、都立学校へ出したいから行けと説得してきた。行けば医者になるも都庁や役場の職員になるのも夢じゃないらしい。
「だから金がですねぇ……俺は体が悪いからひと様みたいに働けなくて」
「推薦であれば入学費は必要なく、授業料は村役場が負担します。ところで体が悪いということですが、シュトリさんは就労困難者のための支援金を受け取っておられませんね?」
「なにそれ寝耳に水なんだけど」
シュトリの頭の中のそろばんが、かかっと弾かれる。行ける。
しかし問題なのは本人の意思である。村でのんびりと勉強するのも選択だ。しかしふとシュトリは首を捻った。村でのんびり勉強して、なんになるのか。将来は農家か、しかし我が家には売るほど農業をする畑はない。どうも紺は虚弱で、喘息持ちだし。女の子なんだから、中等課程が終われば嫁に行く……嫁に行く? ここにいればそうなるだろう。早くて5年後にはこの村か、隣村から縁談が来る。田舎は結婚が早い。
ばあさんに抱えられて成績表を「わーい」と眺める紺を見た。シュトリの視線に気がついて小首を傾げる。この子が嫁に行くのか……目頭が熱くなってきた。
選択肢は多い方がいい。勉強しないのは損だ。
「紺、都会に住んでそっちの学校に行くのはいいか?」
「学校行くー」
紺は諸手を上げて喜んだ。
「僕友だちほしい。あと、村の子にさぼってる言われるん、僕もういやや」
役人はうんうんと頷き、他の大人は肩身の狭い思いをしていたのかとほろりとした。子供の世界もなかなか大変だ。
かくして紺を都立学校へ入学させることになった。
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つづくはず。