私は現在楽しく毎日を過ごしていますが、

 

50歳になる前くらいまでは何をしても苦しいばかりの毎日でした。

 

幼少の頃の心の記憶をたどると、

 

幼稚園くらいの時から希死願望がありました。

 

生まれてからまだ何年も経っていない、

 

本来の動物の本能をそのまま持っているはずなのに、

 

幼稚園頃からその記憶があり、

 

小学校の頃はずっとその気持ちに悩まされました。

 

その後、中学校、高校と進むにつれて、

 

その思考は年齢なりに熟成され、

 

ぼんやりとした死に対する憧れから、

 

「自分はなんのために生きているのか」と言う強い強迫観念に変わりました。

 

30歳くらいまで、その疑問は私の心を占領し、

 

誰も答えてくれず、

 

大酒を飲んでは、その事で人に絡んだりしました。

 

本当に迷惑なやっかい者です。

 

中学から高校にかけて、

 

両手を中心に、無数のイボができた事も、

 

「なぜ自分が生きているか」の疑問に拍車をかけました。

 

両手に50個以上のイボがあり、

 

10代だと言うのに、人前で手を出す事ができませんでした。

 

毎週、皮膚科で液体窒素の治療を受けているので、

 

指がいつもやけどで熱く、

まるで指先に心臓があるみたいに

 

どきんどきんと鼓動がしていて、

 

えんぴつを持つ事も困難でした。

 

よく部屋で、熱くなった自分の手をさわれずに、

 

手首をつかんで泣きました。

 

 

こんな少しづつ焼くのなら、

 

全部体ごと焼いてほしい。

 

私を形成している肉や皮膚や、

美醜や心が全部なくなり、

 

ただの骨になったら、どんなに楽になるだろう。

 

醜く、臭く、それなのに心を持った動物がいたら、

 

それが私だ。

 

 

私は長い間ずっとそう思っていました。

 

 

そのような経緯があったり、

 

育った環境などもあるかとは思いますが、

 

生まれつき、希死願望がある子供というのはいるのだと思います。

 

子供が全部、無邪気で、生にポジティブと思わないでほしいです。

 

苦しい子供はいます。

 

「なんでそうなの」

「何が気に入らないの」

 

大人はそう言うかもしれませんが、

 

本人にもわからないし、

 

その気持ちを言葉にする術もない。

 

自分だけと言う認識がないので、

 

自分の心の暗闇に気づきません。

 

大人たちの「無邪気な子供」の要望に応えるべく、

 

子供らしく振舞う事で、大人の顔をほころばせ、

 

自分の心のバランスを取ります。

 

 

その後、大人になって、

 

何度かやらかした事がありますが、

 

私は今こうして元気に生きて、

 

素晴らしい日々を味わっています。

 

 

心の闇に、負けなくてよかった。

 

こんなに素晴らしく穏やかな日々が来るなんて、

 

思っていませんでした。

 

 

持って生まれた心の闇よりも、

 

父がなくなって、急遽母と二人で暮らす事になり、

 

毎日テレビもつけず、私の帰りを待つ母のいる家へ帰る毎日を送っていた時の方が危なかったです。

 

毎日スーパーで半額のお惣菜を買い、

 

走って家に帰りました。

 

母が父を追ってしまうのではないかと思って、

 

玄関を開けるまで気が気ではありませんでした。

 

料理をしなくなった母を責めないように、

 

「半額だとつい買っちゃうんだよね~」

 

と言って、毎日買ったものを一緒に食べていました。

 

静まり返る家で、

 

食事中、ずっと母の身内の話や、昔の思い出話などをし続けました。

 

姉や弟がたまに顔を出しても、

 

母はすっかり元気なフリをするので、

 

彼らは安心して顔を出す事も減りました。

 

そんな日々が半年くらい続きました。

 

 

 

そのころ、

 

私は駅のホームに立つと、涙がボロボロと出て止まらなくなり、

 

「どこに行ったらいいのだろう」

 

と言う気持ちになりました。

 

電車を降りて、家に帰るのが怖くて足がすくみました。

 

頭では「かわいそうな母が待っている」と思っているのに、

 

体が、散歩を嫌がる犬のように拒絶をします。

 

それでも頑張ってスーパーに寄り、

 

半額のお惣菜を買って、走って家に帰っていました。

 

 

定期健診で病院に行ったときに、

 

医者に「何か気になる事はありませんか」

 

と言われたので、

 

「閉経してホルモンバランスが崩れているようで、

 

駅のホームで電車を待っていると涙が出てくる」

 

と説明をしたら、

 

医者は少しだまって、

 

「〇〇さん、それは、他の科に一度相談してみてくださいね」

 

と言われました。

 

 

振り返ると、

 

あの頃が、一番危うかったです。

 

とても近いところにいました。

 

 

本当に紙一重のところで、思いとどまっていました。

 

 

きっと、状況は違えど、同じ所に立っている人もいると思います。

 

頑張って思いとどまらなくても、

 

ただ、泣きながらでも、その時をやり過ごしてほしいです。

 

やり過ごすだけでいいです。

 

戦わなくていいです。

 

 

やり過ごしさえすれば、時間が勝手にたちます。

 

 

 

私がどんなに苦しくても、大問題をかかえて悩んでいても、

 

春になれば花が咲き、緑が芽吹き、

 

潮は寄せては返し、

 

川は一瞬も止まる事なく流れ、

 

雨は降り、季節になれば鳥は北へ帰っていきます。

 

それはずっと太古の昔から繰り返され、

 

今も、この先もずっとずっと繰り返されます。

 

 

 

 

私はいつも、トイレのカレンダーの次の月を見て、

 

「私はこのころには笑っている」と思ってきました。

 

そして、いつもそうなっていました。

 

 

うれしくても悲しくても、


物事はとどまってはいません。

 

 

 

今、自分が年を取り、

 

過去の自分を振り返り、

 

「あ~、よく生きてくれたなあ」と思います。

 

 

生まれついての自分の素質もありますが、

 

幸せな毎日を送る事は、

 

自分の気持ち次第なのかもなあ、と思います。



でも、若い頃はにそう思えって言われてもむづかしいね。


若いときは苦しい。

 

 

人は絶望を繰り返しますが、

 

あっちこっちに頭をぶつけ、

 

たんこぶを作り、

 

そうして、うまくよけるコツをつかんだり、

 

ぶつけた部分が強くなったり、

 

そう言う事も少しづつ身に着けながら、

 

自分だけにもらった人生を彩って生きていくのでしょう。