JR三島から原まで ブロンプトンで | たつきちのブログ

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三島駅近くのコンビニで、おにぎりを買って食べ、12時16分頃から走り始める。

駅から南下して、三島大社の前の通りに出る途中、駅前の公園に行く家族連れや、フードフェスティバルとかいうイベントに並んでる人たちやらで大混雑していた。

大社前の通りを西へ進む。

すぐに伊豆箱根駿豆線の踏切を渡り、道は二股に分かれる。
左の旧東海道を進む。

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常夜灯(駿東郡清水町)
こうじ製造所中村屋老舗前

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千貫樋(せんがんどい)

駿河と伊豆の境を流れる境川にかけられた農業用水。
旧東海道の橋の上から。(駿東郡清水町)

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千貫樋(橋の上から真下をのぞく)

1555年、武田、北条、今川が和睦をして、北条家の娘が今川家に嫁入りした際に「聟引き出物」(むこひきでもの、お婿さんへの引き出物)として作られた農業用水ということだ。
「むこひきでもの」という言葉は初めて知った。
生涯もらうこともあげることもないだろう。

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玉井寺の一里塚(駿東郡清水町)
江戸から二十九番目の一里塚。

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道をはさんで対になっている宝池寺の一里塚。こちらは昭和六十年に復元されたもの。


国道を渡ってほどなく、右手に長沢八幡神社の鳥居が見える。

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長沢八幡神社には、源頼朝と義経が初めて対面したときに腰をかけたという「対面石」がある。

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対面石

30年前に発行されたJTBのガイドブック「今昔東海道ひとり歩き」(今井金吾著)を見ると、八幡神社の東250メートルの国道沿いに対面石があると書かれてあり、地図にもしるされている。
八幡神社で頼朝と義経が対面したことは間違いなく書かれているのだが、会った場所とは違う場所に対面石があったということになる。
この30年の間に、対面石が、しかるべき場所(神社)に移された(あるいは、戻された)ということなのだろうか。
由緒書を見れば、その経緯について書いてあったかも知れない。
誰か知っている方がいれば教えていただきたい。

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黄瀬川にかかる橋。
現在、かけ変え工事中。

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29年前に歩いたときの黄瀬川の橋。
後ろの山の形は、現在とほぼ変わらない。

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現在工事中の橋を、横の歩行者用の橋から見る。
正面に富士山。

旧東海道は、やがて交通量の多い県道380号に合流する。
右手に西友の大きな建物が見える。
そこを過ぎると、左の川沿いに旧東海道が分かれる。

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沼津宿の東、狩野川の脇にある一里塚

一里塚を通過して、まもなく県道に合流する。

三枚橋の交差点を渡ると、左を流れる狩野川が大きく左に曲がるのに合わせて、「川廓通り」と書かれた石の標識がある小道に入る。

小道をぬけると、沼津駅南口から南下してくる県道に出るので、県道を南へ進む。

御成通りとの交差点を右折し、すぐに左折。

静岡銀行の角を右折すると、あとは原宿まで県道をイッキに進む。

左手は駿河湾の千本松原だが、道からでは海岸は全然見えない。

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六代松の碑

道路の左脇に石の標識があり、左折すると突き当たりの右に碑がある。

六代(平高清)は、平維盛の嫡男で、平家滅亡後に仏門に入るが、後に逗子で処刑された。
従者が首をこの地に埋めたという伝説があり、六代松という大きな松があったが、江戸末期に枯れてしまい、碑が立てられた。

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白隠禅師ゆかりの松陰寺

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白隠禅師生誕の地

16時頃、原駅に到着。
三島から新幹線で帰る。

今日は、新幹線ではデッキの部分にずっと立っていた。
サラリーマンの人で、でかいスーツケースを自由席のとなりの席の前に置いてる人もいるのだが、
乗車時間30分なので、たいしてつらくもない。

三島駅の新幹線ホームから、南口や東海道線ホームに行くときは、15段ほどの階段を2度ブロンプトンを持って降りなければならない。
北口は、エレベータを改札階に降りればその階から出られる。

夏のように猛暑日でないと身体が楽だ。
よくぞ夏は、あの炎天下に国道なんぞ走ったものだと思う。