3人の姉妹に囲まれてたくましく育った夫は、小さいころからたくさんの仕事をしてきました。その話があまりに面白いので、忘れないうちに書き留めておこうと思います。
彼が一番最初にお金を稼ぐ目的で仕事をしたのは小学校に上がる前、6歳のころだというので驚きです。最初の仕事は、魚釣りが趣味のお隣のビルおじさんのためにミミズをとること。ミミズは雨が降った日の夜更けに、ビタビタの土の中にいるのが嫌で地表に上がってくるらしく、それを何十匹単位で捕獲してビルに持っていくと一匹1セントで買ってくれたそうです。1セントといっても当時の価値ですから、今でいえば5セントぐらいでしょうか。これがいいお小遣いになったようです。

小学校一年生になると新聞配達のアルバイトを始めました。今の時代では考えられませんが、小学生のこともが一人で新聞配達で近所をまわっても何も危険なことはない時代だったんですね。夫は徒歩で30件ほどのノルマをこなしていたそうです。一番イヤだったのは月一の集金。ドアになかなか出ない家や、集金のたびに小さいコップに小銭をいっぱいためておいてそれを渡してくる家など、お金をもらうことのむずかしさを知ったようです。でもクリスマスにはみんな封筒に入れたチップをくれるのでそれがとても楽しみだったと言っています。

小学2年の夏休みには、アイスクリーム売りの仕事に臨みますが、これはあまりの過酷さに1日で断念。簡単に聞こえますが、パラソルつきの大きな三輪車でアイスのいっぱい入ったクーラーを引いていくので、ものすごい重いんです。(うちの近所にも時々来てくれます。
写真はこちら。)ちびっこにはかなりの重労働。あまり暑いのと重いので、途中で3個もアイスをつまみ食いして、ケチなオヤジに日当からその分引かれたそうです。この仕事はその日で辞めました。
そして9歳の夏休み。夫はついに起業します。ビジネスは「ミミズ屋」。お隣のビルのためにミミズをとって儲けたことにアイディアを得て、本格的に自分で開業しました。小さな発泡スチロールの蓋つきのカップに湿らせた土を入れ、20匹単位でミミズを入れて売ったそうです。自分の庭だけでは足りないので、ご近所の庭にこっそり忍び込んでとったりもしたので、時には怒鳴られて追いかけられることもあったとのこと。たくましいヤツ。マーケティングの一環として、ちゃんと段ボールで手書きの看板も作り、家の近所の電柱などにくくりつけました。セントローレンス河沿いの町ですから釣り人は多く、夫はお客に困ることはなく、ひと夏で200ドル近く稼いだそうです。その看板、見たかったなあ。

3人の姉妹と両親の大家族ですから、小さいころから自分の欲しいものは、自分で努力して買うことを教え込まれたようです。しかも彼の場合はアイスホッケーもやっており、こちらの費用は両親が出してくれたそうですが、何せホッケーはとてもお金がかかるので、大変だったようです。でもこうしたアルバイトや自前のビジネスのおかげで、夫は当時友達が持っていなかったビービーガンなどのおもちゃを手に入れ、それを持って近くに雑木林に探検にいったり、秘密基地を作ったりしていました。

その後もアルバイトをしなかった年はなく、中学に入るとホテルのレストランで皿洗いをしたり、石材工場の電話番をしたり、スポーツ用品店の売り子をしたりしたそうです。イチゴ畑でイチゴ採集アルバイトの募集があったので、友達と出かけて行ったものの、とったイチゴを食べたり、友達と投げ合ったりして遊ぶことに夢中になってしまいこれはクビになりました。
そんな中でも一番お金になったのは、伐採の仕事。林業を営んでいた友達のお父さんと友達2人で、山に入ってお父さんがチェンソーで切り倒した木を運ぶという単純肉体労働。夏は朝から晩まで山で作業をしていたそうですが、もともと外にいるのが好きな夫は、そんな環境も気にならず、さらに当時のティーンネイジャーへの報酬としては破格のバイト料だったので、この仕事は大学に行ってからも続けたそうです。
同じころ長女のジョアンが近所のデパートの中にあるレストランで、ウエイトレスの仕事を始め、彼女の紹介で次女もウェイトレスになり、当然のように夫にも働き口が回ってきました。夫の場合はマクドナルドでの経験があったことから、キッチンに配属され、そこでサンドイッチやバーガーを作ったりするようになりました。(ちなみにマクドナルドでは、採用されたものの一番下っ端だからということでいきなり夜のシフトを任され、そのうえ下っ端扱いされたので2日で辞めたそうです。)このレストランでの仕事は、季節を問わずできるのでかなり長く続いたようです。長女のジョアンが大学進学のために辞めると、三女のステファニーが入れ替わりで入り、結局全員このレストランで働いたことになり、思い出の多い時代だったようです。

(妹のステファニーと。ステファニーかわいすぎ!)
こうした努力が実を結び、高校を卒業する前には念願のオートバイを手に入れた夫。当時夫の同級生の間ではほんの一握りの生徒しかバイクを持っていなかったので、かなりご自慢だった様子。とはいえ、中古で買ったので手を加えなければならない個所も多く、そのたびにエンジンを分解したりして、メカにも強くなりました。人生どんなことがその後の糧となるかわかりませんね。
大学に進んで建築を専攻し始めると、ラッキーなことに市役所の建築課から声がかかり、毎年夏休みにはそこでアルバイトをするようになりました。(このくだりの話になると、市役所での自給が当時大学生が貰っていた額の軽く3倍はあったという自慢話が始まり、もう耳にタコができるほど聞いているのでちょっと面倒くさい。)最終的にはそのつてで大学卒業後すぐに市役所に就職が決まり、一般の建築事務所に勤めるようになるまで6年ほど働いたようです。
こういう思い出話になるとネタが絶えない夫。やっぱりモノより体験ですね。